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校正&校閲の仕事に興味がある方へ

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Photo by Brett Jordan on Unsplash 今日はタイトルのとおり、校正や校閲の仕事に興味・関心がおありの方、校正・校閲職を希望している方にお知らせです。ここ数日の間に複数名からコンタクトがあり、ならば一度きちんと告知を行うほうがよいかと思い至った次第です。 私は通算 21 年、直近 13 年の職歴を有しています。外国語辞書に始まり、外資系日刊紙、商業印刷物、広告のほか、企業・団体・大学等教育機関の各種印刷物など様々なジャンルを対象とする実務経験を経て、以後現在は実店舗や通販サイトで販売されている書籍をメインに完全在宅稼働のフリーランスとして独立しています。但し「雑誌とウェブサイトを除く」という断り書きをいれなければなりません。その分野は詳しくありませんのであらかじめご了承ください。また、仕事は紙でしか行なっておりません。通常「ゲラ」と呼ばれるものですね。書籍の他には各種団体の定期刊行物、会報、広報誌等を日常扱っています。 校正・校閲の仕事は「やりだしてみなければわからない」、業界についても「入ってみなければわからない」それぐらいに情報が少ない職業の一つではないかと日頃から感じています。上記の業務内容はざっくりしたものですが、何かお役立ちできることがあればと思いますので、ご質問やご相談はお気軽にお寄せください。 ご連絡は「CONTACT」に記載のメールアドレスまで。「こんなことを尋ねるのは話が違うだろうか?」「こんなことを言うと相手にしてもらえないだろうか?」「こんなことを打ち明けてもいいだろうか?」などと考えこまずにどうぞ。お返事のメールは遅くとも3~4日以内、かなり遅い場合でも1週間を目途にお送りいたします。 ※関連記事「 校正&校閲、キャリア相談は完全無料 」のほうもよろしければどうぞ。 *****

卒業確定、放送大学個人ページ公開

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前回の記事で取り上げた在学中の放送大学 。上の写真は先月末に郵送されてきた「卒業見込」に関する書面とその封筒。放送大学はそれこそ「全国区」の大学ですが、本部所在地は千葉。東京ではないんですよね。さてさて、先週 20 日に学期末試験の結果発表があり、無事卒業確定となりました。来月末日付の卒業を記念して今日は放送大学仕様の個人ページを公開しようと思います。いろいろな情報が詰まっていて、学生個々人がいつでもアクセス可能な「マイページ」は、もちろん当事者以外が見ることはできないオンライン上のシステムです。  上の画像は「履修成績照会」というページで、学生種別や所属コース、登録している学習センター名や修得単位数等々が載っています。黄色で伏せてあるところは私の本名と学生番号。このページの下のほうには次の画像の「科目一覧」が続き、自分が履修した科目名や中間試験に当たる通信指導の合否などを見ることができます。今学期は4科目を履修して通信指導は全部合格。単位認定試験を受ける資格の有無がその右にあり、すべて「有」になっています。 ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑ スクショは粗いですね。画像のオレンジの囲みの中央に科目名がありますが、上から順に「精神看護学」「老年看護学」「精神疾患とその治療」「今日のメンタルヘルス」。ところでつくづく「世の中知らないことばかりだな」と思うんですね。自分が好きだ得意だ本もよく読んでいる、そういう分野以外の勉強をしたときに。今学期がまさにそうでした。畑違いの科目ばかりを取ってみたんですよね。心意気はいいとして、いざ教科書を開くと本当に知らないことばかりで、怖ろしいぐらい知らずにきたな、知らずにいるなと自覚した次第です。そんな「これまで知らなかったことを知ることができた」という実際的な会得がある一方で、もう一つ重要なのは自分の無知さ加減を思い知ることで、簡単に言うと謙虚になっていく、少し捻って言えば口が重くなっていく、そうした変化がもたらされる経験を得るという点なんですね。 自分がよく理解していない事柄や人物などに関して簡単に口を開いてしまう愚かさや足りていなさが抑え込まれていくというんですかね。近頃は有名人でも一般人でも、やたらと議論めいたり人を批判したり、当たり前のような顔で叩いたり非難をしたりしますけれど、そういうことをしないタイプの人間に薄紙一枚また一枚、変わっ

放送大学 IN 東京・茗荷谷

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  2018  年  10  月、 放送大学 教養学部3年次に編入学したんですね。ここは正規の学生を全科履修生と呼んでいます。先日のこと、今学期9月末日付卒業予定者宛ての書類が自宅に郵送されてきました。学期末試験結果待ちの現在、あくまで卒業は予定・見込ということですね。3年次編入学は最短2年間の学生生活ですが、私は端から2年は無理、早くて3年、上限6年もありだなという感じで入学した結果3年で卒業見込ですから、仕事第一の社会人としては上出来なほうかなと思っています。 取引先への感謝もありますね。「今学期は勉強に専念する。数か月仕事はしない」などとメール一本で済ませられるのもフリーランスの「なるほど・ザ・自由ワールド」なんですが「承知しました。学業に対する真摯な姿勢に敬意を表します」だなんて信じられないような立派な返事をよこす人もいたりして素晴らしいんですね(笑)そんな「浮世離れ大陸」に生息する私がその後のある日唐突に「来週から仕事する。カラダが空く」といった電報のようなメールを飛ばすと「ご連絡ありがとうございます。早速一件ご検討いただきたいのですが、ご都合いかがでしょうか」と返してくる。出来がいいですね。偉いの一言、感心させられます。それもこれも私の実力のなせる業ということなんですけれどもね(笑) 上の写真はガラケーで撮ったもので、そのわりによく写せたので大事にとってあります。この種の写真の価値というのは  10  年後  20  年後もっと先の  30  年後ですとか、長い時間が経って高まるものかもしれません。今の今ではなくてね。入学後、初めて登校したときに撮った写真なんですが、後悔は「あーあ、建物の中も撮っておけばよかったな」1枚もないんですよね。屋内は広々としていてとてもきれいなんですよ。色調も造りも落ち着きがありました。 放送大学は北海道から沖縄まで「なになに学習センター」という名前が付いているんですよね。他に「サテライトスペース」という呼び名のところもあります。いずれにしても 「なになに校舎」とは言わないんですね。通学制ではありませんから当然かと思いますが。私が 所属していたのは 東京文京学習センター というところで、住所は東京都文京区大塚、最寄り駅は東京メトロ丸ノ内線の茗荷谷駅。写真の正門の看板が筑波大学と横並びなのは、この建物を両大学で使っているからなん

目薬と視力の弱い校正者

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中学生の頃から目が悪くなりだしましてね。今の視力は右  0.1  以下、左  0.3  ですから校正者としては惜しいところなんですが、まあ仕方がないですね。無いものは無いもの、失ったものは失ったもの、潔く諦めるのも生きていくのに欠かせない要素だと思っています。落としどころですね。「諦めない」という頑張りだけがマストでもベストでも賢明でも褒められたものでもない。短時間、短期間なら諦めきれない、食い下がる、恨み言の一つも泣き言の二つも(笑)なんて状態もあるでしょうしそれでいい、仕方がないとも思いますが、どうしようもないことに対していつまでも惜しんでいたり悔やんでいたり傷ついていたりこだわり続けているといいことないなと思うんですね。 何より自分が苦しいですよね。挙句に心療内科に行ったりしましてね。せっかく専門家を頼ったのに白衣を着た初対面の人から「誰にもそんな悩みはあるものなんですよ」程度の私でも口にできるようなことを言われて傷ついたりなんかして二重苦。当然支払いも生じますから経済面で三重苦。帰路では「医者のくせにまったくなっていない」だなんて軽めの恨みと深めの失望を抱え込んだりして四重苦ですか(笑)考えている、 悩みを深めているって聞こえは障りがないですし、頭が良さそうな空気感すら周囲に放つこともできるんですが、自己陶酔や甘えの部分もなくはない。そういう類いの人を結構見てきたかなと思います。 一見賢そうに話したり書いたりしているんですが、見続けていると堂々巡りの一言というパターンが少なくありません。酷いケースだと家族や他人、友人・知人を含めての他人ですが「考え悩み思考するオレ/アタシ」を周囲にまき散らす人というのが残念ながらいらっしゃる。成熟に遠いタイプですね。自分の不満風や不幸風をビュービューゴーゴー吹きっぱなしにしているものですから、吹きつけられる側は疲労感を覚えたり、時間に比例して手立てもなくなってきたりするわけです。人間は万能ではありませんし「オレ/アタシ」な人たちにとっていつでもどこでも都合のよいイエス・キリストの如き存在になれるわけでもない。不満風と不幸風に晒され続けているうちに「こちら」の体が冷えてきますと、風を吹きっぱなしにしている「そちら」の側との関係も徐々に危ういものになってきます。 けれども「そちら」の人たちというのはそんなことをまったく気にかけて

カラダが資本、味方は高麗人参茶

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おととしの秋、地元の喫茶店でいきなり倒れて、気づいたときには完全に床に寝ている状態だったんですよね。部屋のベッドで普通に寝ているときの格好。意識消失っていうんですね。目が覚めて最初に視界に飛び込んできたのは知らない初老の男性の顔のアップ。映画館の大きなスクリーンで俳優の顔が間近に迫ってくるような感じですね。「救急車がすぐ来るからね。大丈夫だから。起きずにそのまま寝てなさい」って自分の娘か孫娘に言い聞かせるように目を合わせておっしゃったんですよね。人の気持ちや善意って素晴らしいものだと思います。 「世の中結局カネなんだよ」だなんて言う人がいますけれども違いますね。バカ言ってもらっちゃ困りますよ(笑)自覚症状はなくても倒れたときに、もしかしたら頭を打っていて、その日のうちに死んでしまう可能性がまったくなかったとも言いきれない。そんな事態に及んで偶然そこに居合わせた人が、そばで倒れた赤の他人に対してそれこそ名前も知らない、顔だって一度も見たことがない人間に優しく適切な言葉をかける、そういう人が一方にいて、それを受け止める側の人間との間のいったいどこにカネが存在しているわけですか? していないわけですよ一円たりともね。毎日の暮らしですとかもっと大きく言うなら人生ですとか、本当に突き詰めていくと問題はお金ではないんですよね。ですから「世の中結局カネなんだよ」だなんて分かったような口をきく経験不足の大人は気の毒です。世の中結局カネではないんですよ。 意識がなくなっている間に店の人が救急車を呼んでいたんですよね。現れた消防隊員は全部で3人でしたか、彼らが到着した頃には私はもう体を起こしていましたし、ゆっくりながらも腰をあげて脚の長いお洒落な椅子に座ることもできていたものですから「もう平気なのでこのまま家に帰ります」と言ったんですが「頭を打っている可能性があります」「帰宅後に異変が生じたらもっとしんどいことになりますよ」などなど、いろいろプロに言われてみますと「確かにそうだな」とどんどん納得(笑)人生初の救急搬送に同意しました。しかしサイレンというのは緊張感がありますね。信号無視、本当に速い、車がスースー進んでいく。日本は救急車がタダだからいいですね。当たり前のように一銭も払わずに乗車しているわけですけれども、世界を見れば当たり前ということでもない。オーストラリアは  10  万以