目薬と視力の弱い校正者




中学生の頃から目が悪くなりだしましてね。今の視力は右 0.1 以下、左 0.3 ですから校正者としては惜しいところなんですが、まあ仕方がないですね。無いものは無いもの、失ったものは失ったもの、潔く諦めるのも生きていくのに欠かせない要素だと思っています。落としどころですね。「諦めない」という頑張りだけがマストでもベストでも賢明でも褒められたものでもない。短時間、短期間なら諦めきれない、食い下がる、恨み言の一つも泣き言の二つも(笑)なんて状態もあるでしょうしそれでいい、仕方がないとも思いますが、どうしようもないことに対していつまでも惜しんでいたり悔やんでいたり傷ついていたりこだわり続けているといいことないなと思うんですね。


何より自分が苦しいですよね。挙句に心療内科に行ったりしましてね。せっかく専門家を頼ったのに白衣を着た初対面の人から「誰にもそんな悩みはあるものなんですよ」程度の私でも口にできるようなことを言われて傷ついたりなんかして二重苦。当然支払いも生じますから経済面で三重苦。帰路では「医者のくせにまったくなっていない」だなんて軽めの恨みと深めの失望を抱え込んだりして四重苦ですか(笑)考えている、悩みを深めているって聞こえは障りがないですし、頭が良さそうな空気感すら周囲に放つこともできるんですが、自己陶酔や甘えの部分もなくはない。そういう類いの人を結構見てきたかなと思います。

一見賢そうに話したり書いたりしているんですが、見続けていると堂々巡りの一言というパターンが少なくありません。酷いケースだと家族や他人、友人・知人を含めての他人ですが「考え悩み思考するオレ/アタシ」を周囲にまき散らす人というのが残念ながらいらっしゃる。成熟に遠いタイプですね。自分の不満風や不幸風をビュービューゴーゴー吹きっぱなしにしているものですから、吹きつけられる側は疲労感を覚えたり、時間に比例して手立てもなくなってきたりするわけです。人間は万能ではありませんし「オレ/アタシ」な人たちにとっていつでもどこでも都合のよいイエス・キリストの如き存在になれるわけでもない。不満風と不幸風に晒され続けているうちに「こちら」の体が冷えてきますと、風を吹きっぱなしにしている「そちら」の側との関係も徐々に危ういものになってきます。

けれども「そちら」の人たちというのはそんなことをまったく気にかけていない、自分勝手で無神経ですからね。「自分のせいで迷惑をかけてしまうかも、負担になってしまうかも、下手をしたら互いの関係にヒビが入ってしまうかも」などといった考えが頭をかすめる知性と相手を思いやる気持ちが欠けているので仕方がありませんが、結局それでいいことにならないのは不満風と不幸風のあるじ「オレ/アタシ」その人自身なんですよね。友人・知人の類いは「もうダメかな、しんどいな、どう接したらいいのかもわからない、厄介だな、苦痛だな」となれば関係を切ることもできますし、遠ざかるのも難しいことではない。家族といえども離れようと思えば離れることができるぐらいなわけですからね。

話が逸れましたが、私の目のことでしたね。もう四半世紀以上の長い付き合いになるメガネドラックの指名従業員と2人で作り上げる優秀なメガネ様のお陰で公私ともども不自由なく過ごしてこられましたし、今もそれは変わりません。ただ言えるのは「私、見えますよ」という点は問題ないんですが、視力の弱い人間が小さな字を見続ける校正・校閲の仕事が本業・専業ということで目はものすごく大事にしています。

上の写真のタイトルは「目薬たちの集い」でもいいですし「目薬たちの饗宴」でもいいですね。「目薬たちの語らい」何でもいいですけれども(笑)全部ロート製薬の商品です。目薬なんてどれも大して変わらないんじゃないかと思う方がいるかもしれませんが違うんですよね。酷使したあとに各製薬会社が出している「最高位」の目薬をさしてみると分かりやすいかと思います。その結果で私の場合はロート製薬揃い踏みとなりました。左から順に、渇きを防ぐ涙成分補充用途、凝った目をほぐす用途、校閲の調べ物で欠かせないパソコンのブルーライトを浴びた目を労わる用途、風邪のときのとりあえずパブロンのような総合感冒薬ならぬ総合眼科薬、⑤「養潤水」という商品で、これは就寝前限定の寝ている間に目の疲れを取るもの。眼科分野の常備薬ラインナップが目下のところこの5点になります。

60 歳近くにもなると、どれほどのベテラン校正者でも目の衰えには逆らえないようですね。ただそれも一般にはというものだと思っていまして、前回の記事で取り上げた高麗人参茶にしてもそうなんですが、自分の仕事や活動、そして身体については様々な知恵や知識、場合によっては人の助言も得ながら、極力良い状態で暮らせるように注意深く的確にと心して日々を過ごす、個々人の生活態度としては結局それ以外にないように思うんですね。目が弱いからこうする、足が不自由だからこうする、腰が悪いからこうする、こんな持病があるからこうする、治らない病気だからこうするとか、いろいろでしょうけれども、そうやって生きていくしかないわけですし、またそうすることで生きていくことができるわけですよね。ですから「こうしよう、ああしよう、それで自分は生きていこう」そういう気持ちを持てないのだとしたら、自分を放棄する道だけが残されるということになるのではないかと思います。

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