公正取引委員会と在宅校正者の長電話




以前、公正取引委員会の希望で電話ヒアリングに応じたことがあります。所得補償保険の掛け金が優遇されることただ一点が魅力で数年前に加入した団体「一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会」から、ある日1通のメールを受信、協力要請のあった任意のアンケート調査に回答、返信したのが事の始まりでした。このアンケート調査では末尾のほうで「回答後に公正取引委員会から調査協力の依頼があった場合に応じるか応じないか」という趣旨の質問があり、私は「応じる」と答えました。同じ回答をした複数名の中に私も加えられたということでしょう、当該機関担当者から初めて直接のメールを受信したとき、自分のフルネームの近くには「No.△△」という形で2桁の数字が併記されていました。


そのメールには「この調査協力の依頼は、あくまで調査が目的であり、フリーで仕事をしている個々人に生じた、あるいは生じている個別の問題について相談を受けるものでもなければ、その解決に助力するものでもない」という趣旨の断り書きがありました。「ごちゃごちゃした話は聞きませんからね。こちらの知りたいことだけを話してくださいね」ということでしょう。加えて「電話で話す時間は 30 分程度」という趣旨の文言も記されていました。「長話はお断りです。こちらが聞くことだけに答えてくれれば 30 分で足りますからね」ということでしょう。 しかしこちらが何も言っていない、尋ねてもいないのに、依頼者側があれこれ条件を付けてくるというのもおかしな話で、それをまたおかしいとも思わずに平気で言ってのけてしまうあたりがさすが霞が関ですね。世間知らずぶりが炸裂しています。この二つの「予防線」は私にとってどうでもいい事柄でしたが、随分と用心深いものだなという印象を受けました。


東京・霞が関地区 出所:国土交通省ホームぺージ(https://www.mlit.go.jp/gobuild/kasumi_kasumi_kongo_kasumi_kongo.htm)

だいたい国が助けてくれるものなら、とっくの昔に助けられていたはずなんですね。いったいどれだけ一人で闘ってきたか。何の後ろ盾もない個人がたった一人で企業を相手にするわけですからね。ですのでそういうお門違いな言い草を耳にしますと、そういうことは過去に一度でも助けたことがあって「けれども今回についてはこのような方針なので、個別の問題については承れないのですがそれでよろしいでしょうか、いかがでしょうか」と言えるものではないですかね。口のきき方、ものの伝え方には常に注意を払うべきだと思います。


とにかく国などというものはご存じの通りおよそ頼りにはならない、そんなことはこちらとて重々分かっている。フリーの働き手というのはもう長い間、そんな立ち位置に置かれているという、この国の労働市場において「超」が付くほど遅れに遅れた部分があるわけです。大雑把に言って日本で働く「カタギ」というのは勤務先のある人と経営者ぐらいではないでしょうかね。ましてや公正取引委員会に勤務しているような職員の方々などは、同じカタギの中でも上級カタギと言えるのではないか。いやいや、この私もれっきとしたカタギなんですけれども、ひとたびフリーランス・自由業者というだけで不当な扱いを受ける、受けてきた、今も受けている、そうして長年軽んじられてきているわけですね。


ところで公正取引委員会というのは、東京・霞が関の合同庁舎内にありますけれども、そんなご大層なところに駆け込んで「この弱くて可哀そうなフリーランスの私を助けてください! お願いします!」などと泣きついたことは、それ以前にも皆無、今に及んでも皆無です。憎まれ口はこのぐらいにして本題に移りますが、結論から申し上げてフリーランスの方々は、こうした国絡みのアンケート調査に接する機会があった場合、積極的に関わるのがよろしいかと思います。ヒアリング当日には、あらかじめ予防線として張られていた二つの決まり事を電話口の冒頭でも念押しされました。念押しからスタートです。「個別の問題は聞かないからね」と「持ち時間は 30 分だからね」の二点ですね。それで結果はいかようであったか。この二つとも公正取引委員会のほうが「破った」んですよね(笑)


生身の人間同士というのはそんなものでもあります。ですから人と話をするときには、初めからああだのこうだの取り決めを作ったところで大して意味がない。担当者はヒアリングが始まったほんの入り口では、事前に用意していたはずの質問事項を順に読み上げている限りの印象でしたが、早いうちに変化していきました。やんごとなき上級カタギであるはずの担当者がどんどん一人の人間に、一人の社会人へと変わっていくのが分かるんですね。平たく言いますと「この話、面白い。えっ、そうなの? もっと聞きたい、聞かせて、教えてください!」― 専門家としての純粋な好奇心も加わって抑えられないという感じですかね、それがこちらに伝わってくるわけです。高揚感のようなものですね。やはり餅は餅屋、押さえるべき押さえどころをその担当者は早い段階で察知したとも言えるでしょう。


食いついてくるわけですよ(笑)「それはどうやって? それでどうなった? どんな会社? 会社の名前教えてくれます? 言うとどうなる? それ校正者は言う? だいたい校正者ってどう? 料金はいくら? 払いはどう? どうやって計算する? その言い合いはどうなった? どうやってその会社と縁ができた? どんな経緯でフリーの道を? もう依頼してこない? それでどうしてるんです?」― 会話の中には定期的な波のように冗談口や笑い声なども入り混じり、まるで親しい友人と久方ぶりの長電話を楽しんでいるかのような時間が流れていきました。


話の中身が多すぎて忘れてしまった部分もありますが、担当者は時間を忘れていますし(笑)私もよく話しましたね。途中からは「この人、真剣だな」と感じさせられたことも大きかったです。それから反省もしました。「ああ、国家公務員だというだけで、まるで頭の弱い左翼ゴロみたいに『お前ら国民の血税でメシ食いやがって』といった決まり文句で彼らを閉ざしてはいけない」― それは当該機関の発展や蓄積の営みを阻害するのと同時に、高度な専門性と正当な権力を軽視するのと同義であるからです。労働市場においては、およそ脆弱なフリーランスも手厚く保護された国家公務員も、誰もが自分の小さな立ち位置で熱心に働いている。だから各所各人の存在意義を知り、認め、個々人が堂々と生き、互いが尊重され、究極にはどの人も幸せに暮らすことができる国が実現されればいちばんいいわけですよね。理想です。


この電話ヒアリングは結局、公正取引委員会が当初張っていた予防線がすっかり取り払われてしまい、校正業界の様々な実情や問題点、そこで働く人々の困難や惨めさや悔しさ、腹立たしさといった心情的な側面に至るまでが明らかにされ、それは当然のこと私自身の経験を織り交ぜたものとなったわけですが、ここで述べておかなければならないのは、フリーの校正者側の至らなさという点も含めて話をしたということです。これについてはまた別の機会に。


さてさて。当初はあれだけ念を押していた公正取引委員会側の「30 分程度」という条件は、軽く1時間を超え、その上「今後またお伺いしたいことができたときには、お電話やメールを差し上げてもよろしいでしょうか?」という担当者の何とも優秀なセリフまで飛び出したという次第です。互いにしみじみとした口調で「そういう会社っていいですよねえ。すべての会社がそんなふうになればいいのに……」ですとかね。「ああ、私はうるさくて生意気な外注だと思われた、もう社外校正者リストの私の氏名と連絡先は黒いボールペンかなんかで二重線が引かれているはずですよ、生意気な出版社でしょ?」などと笑って言ったりすると、その担当者も「クスッ!」と笑うんですよね。ああ、女性だったんですよ。ええ、女二人の長電話です。


あのですね、殿方の皆様。親切心と深情けのスリーポイントレッスン其の一、女が笑ったときは要注意です。怒っているうちはまだ大丈夫です。怒りをぶつけられているうちが花なんですね。そして其の二、失うものがない人間が持つ信念はかなりの破壊力を有します。最後に其の三、世の中には悪もあれば善もあることをご承知おき願いたい。「あんまり調子に乗っていると必ず返り討ちに遭いますよ」ということですね。フリーで働く人間を未だに軽んじている時代遅れの皆様方、いつの日か前触れもなく飛んでくるブーメラン、びゅーっ!  悪さもたいがいにしないと大怪我をすることになりますよ。


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