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現X再開、実務に活きるSNSと新聞利用

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https://twitter.com/nagayama_x Twitterをやめたのは2022年の秋。当時はイーロン・マスク氏が出現する前でXではなかった 。 アカウントも削除で本当にやめていたので新たに登録。以前は「だるま子」と名乗っていたのだが👇 今度は本名全開👆 小林旭さんのヒット曲「昔の名前で出ています」を借りれば「本名あわせて出ています」 私の世代は御本家より片岡鶴太郎さんのモノマネのほうがきてしまいますが、旭さんはスターらしくていいですね。これが「昭和」よ👇 T witterのアカウントを削除して1年半ほど経っていたのだが、なかには覚えてくれていた人もいて面白い。会ったこともない他人同士なのにですよ。 多分にそれは「だるま子」という変な名前のインパクトが強かったのと、「だるま」そのものの赤いアイコンが 記憶に残りやすいものだったせいかと想像。 数日前に再開して実感したのは早くも「SNSってやっぱりめんどくさい」😆 先日記事にしたアドセンス合格 を機に「SNSも1個 やっとくか」と、はっきり言ってノリは悪くて気も重かった。 で、実際始めて「まー、こーなんだよねー、知ってるー、そーそー、分かってるー、ねー、分かってたわよー」って感じ。 「ほんと分かってたとおりめんどくさい」😆💥 ただ、ダイレクト・メッセージ(DM)を使うぐらいに親しくやり取りをするようになっていた数名の人たちとの「再会」は素直に嬉しかった。 人と人は「時間」じゃないんだな・・・しんみり。 あとね、思いも寄らない、知らないことが「すとーん」と目に入ってくるのがいいんですよね。自分なんて「こんなもん」てぐらい、本来誰でも大したものではないんですよ。 で、そういう小さい自分の小さい脳に仕込まれてることなんてたかだかで、これ誰でも同じじゃないですか。でかい口を叩いてますかね、はい。 例えば営業でフォローしてくる企業が提供しているサービスを知って「そんなのあるのか・・・」と興味をそそられるものが実際にある。 この短い間にもありましてね。それは自分が探してもいない、どだい知らずに過ごしているのに「すとーん」と飛んできてくれる、そういう利点がTwitter(現X)にはあると思います。 これは「新聞」にも通じるもので、ネットでしかニュースを読まない人、正確に言えば自分の興味・関心があるニュース

小説の校閲をやらない校閲者もいる ~ マイケル・サンデル大先生をお手本に『これからの「お金」の話をしよう ―― ずっと生き延びるための校正料金』

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画像:Harvard University( https://scholar.harvard.edu/sandel/photos ) 校閲イコール小説だなんて思いもしていないのは、当の校閲者ぐらいでしょうかね。「小説の校閲をやらない校閲者もいる」―― これは私自身がそうなんですよ。自慢話ではありませんけどね(笑)逆に自慢できない話ではないかと思いますが、 ただひと口に校閲といいましても、書籍というのは皆さんもご存じのとおり、いろいろなものがあると申し上げたいわけです。 小説の仕事を請けない理由は好きじゃないからで、出版社にもそう伝えてあります。ですから小説の依頼は来ません。ゼロです。出版社の社員の方々を相手に「小説は好きじゃないからやらない」などと発言すると、どんな言葉が返ってくると思いますか。「分かりました」で簡単に終わりです(笑)そんな口をきいたところで驚かれはしませんし、ドン引きなどもされません。大丈夫です。 あ、そういえば昔、もう十数年前ですが、某出版社の編集者兼採用担当で1名いましたね。「え~? だってさ~、校閲やりたいんでしょ~? 校正の人ってフツー小説やりたがるもんじゃないの~?」――この口のきき方ね。ぶっ飛ばされてえのかてめえ。笑って言ってましたよ、禿げたおっさんが。こちらも笑みを浮かべつつ「肝心なことをお尋ねしますが、御社の文字単価はおいくらですか?」と返しますと「34銭。ま、スタートはね!」とのこと。有名な出版社ですけれどもね。ここは大きな注意点ですが、立派な社名と校正料金が比例しないのは未だに珍しいことではありません。 昨今でいえば〈やりがい搾取〉のいい見本です。「馬鹿かこいつ」のひと言でしたね。「それですと食ってけないなら自殺でもしろって安値ですよ」と返しますと「アナタ面白いこと言う人だねえ~、その意気だよ!」――こいつはほんとに馬鹿だったというお話なんです。続きがまた驚きでしてね。「これさ~、いま持ってきてるんだけどやらない?」――大きな紙袋からゲラを取り出して見せるんですね。「英語いっぱい出てくんだよね~、やりがいあるでしょ!」――馬鹿は死ななきゃ治らないんですよ皆さん。〈 馬の鼻先に人参ぶら下げろ作戦〉の実例です。 出版業界の面積デカすぎる暗部がここなんですよ。多くが今も変わらない。大問題だと思いますね。いつまでもそんなことでは能力があ

校閲の仕事をしていて「いい気分」になったこと

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  校閲のお礼にと著者の男性から老舗和菓子店の箱詰め最中を頂いたことがある。 校閲者が校閲を行うのは当たり前ですが「いやいやそんな、お礼なんてとんでもない。当然のことをしたまでですよ」とは思わなかったですね。私はそこまで 生意気な人間ではないんですよ、実はね(笑)  へえ~。  こんな人もいるんだな~。  ずいぶんきちんとした人だな~。  こういうことができる人っていいよね~。  感謝する気持ちがまず素敵でしょ~。  それを行動で示せるのがまた素敵でしょ~。  ストレートでいいよね~。  しかも「女性に」よ~。  高倉健みたいだよね~。  世の中こんな男性ばかりだったら毎日笑ってられるよね~。    実際に健さんだったらどんな感じなのでしょうか。  「気持ちばかりですが、よかったら召し上がってください」       ・・・・・・(空気)  「それじゃ、お元気で。失礼します」    ・・・・・・(空気)  (おしまい)    で、箱詰め最中をスッと置いてサッと行く。ダラダラそこにいないで立ち去る。これが男だね。いつまでも突っ立ってたり、引き止めようとして話しだしたりしなーい。連絡先を聞きだそうなんてもってのほかほーか。「高倉健」というのはだから手が届かない、難しいものだろうとは思うけどね。 私は出版社の編集部や校閲部の社員に直接リクエストするんですよ。「高倉健の企画があったら私に任せてほしい」―― だいたいどう答えると思います?――「そうなんですか!ファンなんですか!了解です!ありがとうございます!」――すごい簡単(笑)――芸能関係では他に西城秀樹も言ってあります。 100パーセント仕事の話ですから、こういう積極性は歓迎されるのでしょうね。「そんな口は今まできいたことがない」という人は一度やってみてください。 世の中いろいろな仕事があって、そのうちのひとつ、校閲職にも当然言えることですが、長く大真面目にやっていますとね、そんなふうに美味しい箱詰め最中がいきなり眼の前に現れる、思いも寄らない出来事がある日、空からストンと降ってくることもあるわけです。実務経験5年未満の人は、しぶとく仕事を続けていってください。しぶとさは能力であり武器でもある。おまけにフリーなら定年無し、それこそ死ぬまでやっていられる「貧困大国カネ無しジャパン」においては大きな強みともなり得るのですから、

実務経験四半世紀でも「できない」ことはいろいろある

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  紙でしか仕事をやらないんですよね。紙でしかできないと言い換えることもできます(笑) 昨今はいろいろやり方があるようですが、今後も紙以外はやる気がないですね。時代にマッチするとかしないとか、何につけ考えないタイプです。 だいたい時代がどうだからこうだからと言われたところで、ヒトは生身。一から十までAからZまで、いちいちいちいち合わせてられなくないですか 。 実務経験もあと1年半ほどで通算四半世紀になりますが、だからといって何でもできるわけではもちろんありません。ジャンルでいえば医学書などもずっとできないままですし、これからもできないままでしょう。校閲が無理ですよ。やる気も全然湧いてこないですね。 むかしむかし校正会社にいた頃、医学書ばかり単独で請けている女性がいて、会社の指示でヘルプに入ったことがあります。ですから経験したことがあるにはあるんですが、分からないことが多すぎて質問ばかりになりました。ヘルプになっていなかったですね。逆に彼女の足を引っ張って大迷惑なだけじゃないかと思いつつやっていました。学校ではない、あくまで仕事なわけですから、なんだか役に立っていなさすぎて「恐縮大会」って感じでしたね。 それでも彼女は親切に、よく教えてくれました。「独立、在宅、独り仕事」もいいですが、校正会社に属して働くことの利点はこういうところにあると思います。仕事と直接には関係のない話もいろいろ聞かせてくれたりして、いい経験になりました。今振り返ると仲間の出現というか、彼女にとってはそんな新しい存在が新鮮で、喜びのように感じられたのかもしれません。一人で充分やれるけれども、二人以上で組んでやる仕事もオーケーだし、教えることも苦ではない。それはそれで別種の楽しさ、面白味があるという受け止め方ができる人だったのかなと思います。 そんな貴重な機会に恵まれたにもかかわらず、私がそのとき学び得たのは「医学書は絶対無理だ」と自覚したことぐらいでした(笑) ただ、 「これの校閲ができるのは、キャリアとして完全にパワーだなあ・・・」とは思いましたよね。やれる人が少ない分野は存在価値が高いうえに、働き方さえ外さなければ報酬も高くていいですね。 超高齢社会の日本、世界に誇る長寿の国においては、需要も右肩上がりなのではないでしょうか。「紙でしかやらない」とか言っていないで(笑)機器に強い人や自信のある

商業印刷物と英語力、報酬の高い校正会社を薦める理由

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起床時間は午前4時、朝勉強は8時まで。目下のところは英文法、次いで英語関連の和書を読む。英文法は数年に一度の周期で画像の洋書「English Grammar in Use」に立ち戻る。第2版(写真左)を長く使っていたが、今では第5版(同右)が出ていることを知ったのがつい最近。気分一新で今月に入り最新版を購入した。表紙の明るいブルーが気に入っている。 不変の「見開き1単元」が魅力の本書。構成は向かって左のページが文法解説、右は練習問題。ペースが取りやすく弾みがついてパンパカ進む。左は一読のみ、右に移って解答は声に出しながら紙に書きつけていく。コピー用紙A4白を使用。表と裏が埋まったらゴミ箱にポイ。 校正・校閲職志望者でTOEIC860以上または同等レベルの英語力があり、校正会社に登録・所属することを考えている人は履歴書に書いて面接でも大いにアピールしてほしい。昨今スコア900以上の人も珍しくはないが、それだけの能力を持つ人が「基本和文の校正会社で」仕事をしようとするなら僅少の枠に入ることができる。いわゆる希少価値だから仕事が拡大・増大する可能性がある。 ここ10年余りは書籍の仕事がメインだがそれ以前、商業印刷物の仕事を主としていた頃は、大手の広告代理店・印刷会社の英語案件を多く請けていた。当時は独立前だから仕事を受注するのは校正会社営業担当。そこから打診を受けて1本また1本と単独で作業する。完了したら中身の現状、作業の実際等に関する説明を加えて営業担当に返却する。 稀に発注企業担当者が「作業者と直接話したい」と言うこともあり、その場合は電話になる。あるいは返却時、営業担当に同行することもある。営業担当は英語に関する説明ができないからだ。校正会社営業担当・発注企業担当者のいずれにしても、電話・対面のどちらにしても、案件をあいだに挟んで口頭でやり取りをするのは大事。最近これをやらない企業が多い。パンと郵送してきてポンと返送する、トンと受領してハイおしまい。話すことを欠いている。 受発注が頻繁で信頼関係も確立されているならそういうときがあるのもいいが、そうでもないのに「無言」が常態化するのは違うと思う。1995年11月のWindows日本上陸から四半世紀余り。その昔はきいていた口を人はどんどんきかなくなった。世の中が悪いときほど直接に「本当の」言葉を交わし合う、そうして人ら

和暦・西暦、併記の場合は要注意

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校閲ともなればどこもかしこも要注意で、和暦や西暦その併記に限ったことではないのですが、この部分の誤植というのは致命的ですね。 先日の記事 で触れた参照頁の誤植と同様、読者に対して著者をはじめとする制作側の作業者に反論の余地がない、平謝りパターンに挙げられるものと思います。 上の画像は長年使用している和暦・西暦の早見表で、 永禄7年(1564年)から令和25年(2043年)まで載っています。ずいぶん前にネットで見つけたサイトを プリントアウトしたもので、使い勝手がいいんですね。当該のサイトは削除されており、残念ながらここでご案内することができません。 「ああ、そーか、ネットから消えること も当然あるわけだな」と気がついたのが吞気なことに数か月前。どこか他のサイトでいいのはないかと検索してみたところ、幸いすぐに見つかりました。下の画像がそのサイトをプリントアウトしたうえ、自分のいいように切り貼りして作り替えた〈新・早見表〉です。( https://seireki.hikak.com/y1400.php ) こちらは応永7年(1400年)から令和15年(2033年)まで載っているので〈旧・早見表〉よりも150年ぐらい長いバージョンです 。 今日は 先般の投稿記事 と同様、筑摩書房さんのホームページに掲載されている正誤表から、和暦・西暦併記の記述、その誤植の実例を取り上げたいと思います。 画像:筑摩書房( https://www.chikumashobo.co.jp/blog/news/category/9/ )※一部加工 まずはオレンジの囲みから。歴史上の出来事の発生年か何かでしょうか、とにかく1年違っているという誤植です。 和暦が明治22年で西暦が1889年とあるのは誤りで、正しくは明治21年に1888年。「たった1年ぐらいどうってことないじゃないか」とは決してならないのが世に出る活字の世界であり、校閲者にとって言えば、そこに手を入れるのが仕事そのものであるわけです。1年にせよ2年にせよ、誤りは誤りということですね。さらに悪いのは、この誤植が1か所にとどまらず4か所に及んでいる点です。暦に関しては「一般に不詳」の実際もありますが、その場合は不詳だと記されていれば問題がないわけで、不詳であるのと誤りであるのとでは言うまでもなく異なります。 次にまいりましょう。グリーンの囲

いつか小学理科の仕事ができるかもしれない

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  これ以上低いレベルはこの世に存在しないところまで遡り、理科を学び直すことになりました。 先日の記事 で触れたように、一度卒業して再入学した放送大学で理系科目の先取り学習に取り組んでいたのですが「それ以前の問題でしょう?」と知識不足も甚だしいことが判明したからです。知識不足という言葉も上品すぎるかもしれません。知識がほとんどないですね(笑)「頑張ります!よろしくお願いします!」と元気よく言ってしまうほうが、かえってさっぱりする感じです。うーっ!😆 高校の地学や生物も無理、中学の理科も無理、いったいどこまで遡れば基礎固めの勉強ができるのだろうかとネットで調べてみました。すると最大で(笑)小学3年生のレベルまで遡れることが分かったのです。「そーなんだ!小3レベルならなんとかいけるかも!」――気持ちが一気に上向きになりました。いい学習書はないかとキーボードをパパパン、タタタン、軽快に叩きましたよ。もう気が大きくなっていますからね。パパパパパ、タタタタタ・・・。〈単純は力なり〉のひと言です😊 いやー、風が吹いていますね。簡単に見つかりましたよ。「あったあった、イェーイ!」――すでに勝ったような気分です。 上の画像がその本で版元は学研プラス 。今の自分にすごく合いそうな教材です。「これならいける!きっといける!」――ひとすじの光がサーッと差し込む感じですかね。その明るさでテラテラ照らされる感じですかね。「あーよかった!〈叩けよさらば開かれん〉だね!」――50代になっても小学生の子どもが教わることをズンズン学べるこの自由、いいですよねー🌈 カバーだけでなく、中身もマンガがいっぱいです。ふ~ん、仕事で見るマンガと好きで見るマンガは違いますね。登場人物は小4の男の子でこの本の主役の「はじめ」くん、理科準備室に住みついているというカッパの名前が「りかっぱ」ちゃん(あーあ、いい意味で力が抜けていくね・笑)そのほかクラスメートで勉強ができる「まり」ちゃんのあだ名は「ミスサイエンス」ということで、とっても賑やかです。紙面から明るい声が飛んでくる感じですよ。「頑張るあなたの味方だからねっ!」――耳、大丈夫かな。「どうもサンキュー心強いです」😂 学習参考書や問題集の仕事は以前から断トツで英語物が多く、理系は未経験なんですよね。それにこれほどマンガが全開している教材も扱ったことがありま

出版社の正誤表で誤植の実例を見る

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画像:筑摩書房( https://www.chikumashobo.co.jp/blog/news/category/9/ )※一部加工 今日は出版社の正誤表で誤植の実例を見ることにします。最初に申し上げておきたいのは、この正誤表を目にしただけで「なぜその誤植が生じたのか」は定められないということ。制作工程に問題はなかったか、校正者のレベルに問題はなかったか、手配担当者による人選に問題はなかったか、作業の細かな部分で問題はなかったか、例えば校正者による指摘や入朱、著者による入朱等の拾い上げやその処理に問題はなかったかということですね。さらには著者と各担当者が置かれた作業環境や条件、例えば健康面や士気、役割の範囲や料金・納期の点で問題はなかったか等々、疑問を差し挟む余地は複数に及んで存在するからです。 本記事ではその内実を明らかにすることを目的にはしていませんし、仮に第三者の自分がそれを突き止めようと試みたところで果たされるものでもありません。言うまでもなく、制作に携わった関係者以外は誰であろうと知り得ないことです。また、それとは別に言えることとして、誤植の多くは時に狭い範囲から時に広い範囲にかけて、当該の誤りの前後を読み通さない限り、その誤植がどのような次元の「落とし」であるのかを定めることができません。 画像:同上  百歩譲って画像の正誤表を見るだけで捉えることができるのは、ある記述のなかで「充実のために行政基盤」とある箇所は「に」ではなく「の」が適切であったから誤植である(上の画像の赤い矢印1つ目)、「村が停滞しているか」とある箇所は「が」ではなく「は」が適切であったから誤植である(同2つ目)という最小限の事実に限られます。当該の書籍は自分の手元にありません。それは今この記事を読んでくださっている大半の方々と同じでしょう。そうした一つの特殊な環境下で、正誤の別が記された一点、それのみを見る試みだということを押さえていただければと思います。 さて先述の赤い矢印1つ目と2つ目の誤植から予想されるのは、文の流れを摑めていないがゆえの落としではないかということですね。通りの悪い文を通りの悪い文と感知することができれば、作業者が手を出す所です。「に」ではなく「の」、「が」ではなく「は」、そのほかにも「を」ではなく「に」、「から」ではなく「こそ」が適切である等々、文字数は一

超軽量眼鏡と視力の弱い校正者

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中学生の頃から視力が落ち始め、片方は 0.3、もう片方が 0.1以下。文字を見ないことには始まらない職業に従事している人間としては残念ですが致し方ありません。今年に入って「いよいよ一つじゃダメだな」と新調、合わせて二つの眼鏡を使い分けるようになりました。福井県鯖江市に本社を構える 総合眼鏡フレームメーカー「 シャルマン 」 のハウスブランド〈 ラインアート 〉を使用しています。 「軽量なのにも程がある」というおかしな日本語が飛び出してしまうくらいの逸品で、とにかくフレームが軽いんですね。実際に掛けてみないとその凄さが分かりません。初めて試着したのは3年前の夏でしたが驚愕しました。 驚愕以外の何物でもありませんでしたね。まぁとにかく驚愕のひと言だったんですよ。語彙が一つでは伝わらないか。これならどうでしょう。購入したての頃、顔に馴染む前ですね、重量をまったく感じないので外すのを忘れて顔を洗い始めてしまい、レンズもフレームもすっかり濡れちゃったんですよぉ~!――なんとかいけるでしょうか(笑) 視力が弱いほどレンズの厚みが増しますから、重量は考慮せざるを得ないんですね。調べ物でパソコンの 画面を見るときなどは、目線が上がるのでさほど気になりませんが、それ以外の大半の時間は当然のこと、ゲラを見るのに目線は下げどおしになりますので、頭部の顔面に装着する眼鏡の重量が重く 、下方へ引っ張られる時間が長く続くのは作業を進めるうえで一つの障害になるわけです。 ならば書見台や傾斜台はどうかという声が飛んできそうですが、自分の場合は邪魔でしかないので使いません。去年メインデスクを買い替え、今使用しているのは幅180センチ奥行90センチのものですがそれでも邪魔ですね。なにより勝手が悪い。というのも大きさや量が異なる原稿やゲラのほか、辞書・事典・字典の類い、各種紙物の資料等のあれこれをすべて立てよう傾けようとした場合、仮に3台4台5台置いたところでまったく数が足らず、かえって不便という実際があるためです。 現在では日進月歩、光学分野の研究開発が進んだおかげで昔と比べ、だいぶ薄めのレンズをはめこむことができるのですが、購入時の重要事項であることには変わりありません。「軽量なのにも程がある」シャルマンの眼鏡は、 普段から目を気遣っている人や、なかなか掛け心地のいい眼鏡に出会わないという人にお薦め

仕事と趣味と語学と大学で忙しい

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写真は私物の級数表。 これに関連して後ほど少し書きますが、以前 日本エディタースクールで購入 したもので、もう何年使っているでしょうかね。思い出せません。過ぎたことをどんどんどんどん忘れるようになりました。例えば「昨日の夕飯は何だったっけ?」――この程度ですでにハードルが高く〈中堅私大〉レベルです。 そんな調子ですから、A社の直近の案件は何だったか、つまり「このあいだこの会社でやったのは何だったっけ?」ともなりますと〈難関私大〉レベルで、まず答えが出てこない。わざわざファイルを取り出して記録を見ないと分からないうえ、書名や誌名を見たところで「そうだったっけ? もっと前にやった気がするけどな」といった具合にかなり間抜けな感じです。 どう転んでも1日は24時間。 やることを詰め込みすぎているのかもしれません。タイトルのとおり「仕事と趣味と語学と大学で忙しい」毎日を過ごしています。最優先はもちろん仕事。小市民ですからね(笑)――そして趣味のストーンペインティングと詩作。 ストーンペインティングは昨秋から ですが、詩作は十代終わりの同人誌投稿に始まり、周期的に訪れる創作意欲が湧くときに限って書いています。たまたま今がその時ということですね。 語学は英語のリスニングに集中、無料学習サイト「 BBC Learning English 」を利用しています。日本メイドの教材に面白味の無さや手詰まり感を覚える人は、お試しになってみてはいかがでしょうか。 出所:BBC Learning English ホームぺージ( https://www.bbc.co.uk/learningenglish/english/course/newsreview ) それから大学ですね。 2021年に卒業した放送大学 に再入学していますのでその勉強。来学期からのコース変更に先んじて不得意中の不得意分野、しかし面白そうでたまらない理系科目の放送授業をインターネットで視聴しているのですが、すでに分からないところが多すぎます(笑) 出所:放送大学ホームぺージ( https://www.ouj.ac.jp/gakubu/ne/ ) とにかく「次これ、次これ、次これ、次これ、はい寝る」と大変規則的ではあるのですが、そうしてどんどんどんどん先へ先へと進む活力が漲りすぎている日々のせいで、過ぎたことは等分に忘れていって

好きなことが得意分野になる校閲の仕事

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  Photo by Steven Libralon on Unsplash 校閲の仕事は、自分の好きなことが実務で活きてくるケースがあります。映画、音楽、演劇、絵画、グルメ、サブカル、スポーツ、旅行、何でもいい。学問分野も同様です。歴史学、宗教学、民俗学、人類学、考古学、言語学、政治学、経済学、社会学、化学、数学、生物学、物理学、宇宙科学等々、もっとあるでしょう。そのほかIT・金融・労働・福祉・教育・医療関係など、この〈世界〉は多岐に及び、社会におけるそれらの発現の一つとして、数多の書き物が出回っているというわけですね。市場への流通を前に、その制作工程において一定の〈面積〉を占めている仕事の一つが校閲です。 自分に「できること」は多くない、あるいは何もないという人でも、自分の「好きなこと」となれば違ってくるのではないでしょうか。〈好きこそ物の上手なれ〉という言葉もあるように、好きで夢中になれることのある人は、誰に言われなくても対象に向かって突っ込んでいくものですよね。そんな「何か」に関してならば、おのずと知識が増していくものですし、身体的な実践を伴うことである場合には、知識に加えて上達や熟練も見込まれます。そうした過程の只中にあったり、何らかの到達点に至ったり、ある一定の成果を得たりする、すなわち「ただ好きだっただけのこと」が結果として身に付き、自身の特徴的な能力にまで昇華した場合、それは職業人としての〈血肉〉となって、校閲という一つの仕事においても活かされるようになる。校閲ジャンルの「私の得意分野」と化すことがあるわけです。 身近なところで例を挙げれば、競馬歴30年余のフリーランスで、競馬新聞の仕事を長年やっている知人がいます。自分は賭け事と無縁で来ましたので、競馬新聞はどのように校閲すればよいものか見当がつきません。競馬新聞は手に取ったことすらないんですね。ですから仮に話があったとしても、できて校正、間違っても校閲は請けることができません。それから料理が好きで腕前もセミプロレベルではないかという、やはりフリーランスで女性誌複数のレシピ欄の仕事をもう10年以上やっている知人がいます。調理や料理、食材や器具には、外国語も含むさまざまな言葉があるのでしょうし、「ここで『茹でる』はおかしい」「そこで『いちょう切り』はない」「絶対『5分程度』はありえない」等々、突っ込

校閲に必要な三つの能力

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  Photo by Shumilov Ludmila on Unsplash 仕事は大方書籍の校閲だと言うと「すごいですね」と返ってくることがある のですが、おそらくそれは、なんでもかんでもよく知っている、ものすごい知識量を持った人なのだと誤解するせいではないかと思います。なんでもかんでもよく知っている人など、この世にひとりもいないはずですし、自分を例に挙げれば、なんでも知っているどころか、知らない、分からない、興味もなければ関心もないことのほうが圧倒的に多いですね。 校閲に必要なのは第一に「ここは正誤を確かめないとだめだな」と〈問題の山〉の部分が百あれば百すべて拾い上げる能力。第二に「それを確実にするために当たるべきはここだな」と〈解答の家〉のある場所に誤らず辿り着くか、端から正解を知っているかの能力。第三にそれらを提起する際、編集者と著者が再考・撤回・修正等へと導かれうる適切な言葉を用いて的確に伝える能力。これはコミュニケーション能力とも言えますね。 最後の第三については、こちら側の指摘の根拠となった参照資料を提示するのが良いと思います。目にすれば明らかですから実効性がありますし、編集者と著者が改めて調査し、確認をする作業に費やす時間と労力を省くこともでき親切です。 もう少し細かに言えば「ここはこうですよ、そこはこうですよ」と、あくまでこちら側が出した結論のみをゲラに書き込むような〈言いたい放題〉の在り方では、たとえそれが正しくても先方とて大人ですから、言われるがまま即座に応じることはなかなかできないものですよね。「これのどこが違うの?」「何を根拠に言ってるの?」という反応は、自分の身に置き換えても、ごく自然なものだと思います。先述した「コミュニケーション能力」は、ここのところを指す重要な部分となります。 「伝えたい、分かってほしい」――そうであるなら口だけではなく態度で示す、そうと言い換えることもできるでしょう。誠実さですね。「そのぐらい言わなくたって分かるでしょう?」という手前勝手な在り方は、どんな仕事においても、また様々な人間関係においても「それでは通らない」幼稚で厄介なものだと思います。 先に挙げた三つの能力が求められ続ける一冊の本の〈記述の海〉を単独で進み、大波小波をかきわけながら最後の最後の一行まで気を緩めることなく集中し、優れたフォームと極力速

中小企業庁、名指しの調査協力依頼

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毎年のように秋になると「やってくる」中小企業庁からの「あなたさまは取引先からいじめられていないでしょうか」の調査協力依頼。以前は封書での郵送・返送形式であったものが、いつからでしたか画像のようなハガキで到着、オンラインでの回答形式に変わりました。たまたま忙しいときにぶつかってしまうと時間が取れず、回答不可となることもあるのですが、今年は若干忙しい合間を縫って提出を済ませました。と言いますのも、年度によっては「何か困ったことは起きていませんか」というお伺いのみなのですが、そのほかにもうひとつ「この取引先との間で問題は生じていませんか」と中小企業庁側が特定の企業を名指しして調査協力依頼をよこすケースがあり、今年は後者であったためです。 我々回答者側からの〈よくある質問〉Q5には、ご覧の通り「調査回答したことや回答内容が親事業者などに知られることはありませんか」と記されています。回答することに不安を覚える人々が少なくはないのでしょう。取引先から「やり返されはしないか」と恐れる人々が存在するということですね。逆ギレすなわち「報復行為」と称されるものですが、察するに相も変わらず体質が古く頭の悪い親事業者が跋扈しているのでしょう。本当に残念なことですね。いや我々のほうがではなく旧態依然とした懲りない企業のほうがですよ。そんな「強者」まがいの取引先を相手とする我々「弱者」設定の労働者を安堵させる文言がA5に記されています。「本調査にご協力いただいたことについては、秘密を厳守いたします」―― なるほど。「それなら安心、回答しようか、実際こんな困ったことが起きているし、聞いてくれるものなら聞いてほしい、助けてくれるものなら助けてほしい」――そんな感じの流れになるのでしょうかね。よくは分かりません。国に泣きついたことは過去にありませんのでね。 私に関して言うならば「いやいや、名前出してくれて結構ですよ、全然オッケーです、永山です、永山明子です」――「あの、永山さんて女性なんですけれどもね、これがまたやたらと弁が立つ感じの方で、お話を伺いましたらこんなこともある、あんなこともあると仰っているんです」―― そんな調子で思いきりやっていただいて結構なんですよね。何が言いたいか。世の中びくつくばかりが能じゃないってことです。人を頼りにするのもいい、そうした「気の毒な話」に耳を傾けることを職務と