アルジェリア、情熱出版人の物語



今日は〈書店〉を舞台に描かれた物語をひとつ紹介したいと思います。
邦訳の書名は『アルジェリア、シャラ通りの小さな書店』―  2019年に東京・飯田橋の作品社から出版された一冊です。原著はフランス語で書かれており、タイトルは『Nos richesses』― ノ・リシェスと読んで「私たちの富」という意味ですが、原題と邦訳書のタイトルが全く異なるところに端から〈海外〉文学の距離や差異が感じとられ興味をそそります。


書名の日本語表現と文字遣いがいいですね。片仮名、漢字、平仮名3種の使用に加え、途中の読点も効いています。この短さの中に日本語表記の特異性が示され、音の流れもスラリとして耳に障りません。装画はアルベール・マルケ(Albert Marquet, 1875-1947)によるものでこれがまた魅力的。遠く離れた北アフリカの異国情緒を爽やかに伝えています。想像力が搔き立てられ、西のほうへ西のほうへと思いが馳せる。頭の中に心地よい風が吹きはじめ、今にも彼の地へ飛び立っていけそうなスイッチが入ります。著者はアルジェリア出身、パリ在住のカウテル・アディミ(Kaouther Adimi)― 1986年生まれの若い作家で聡明な印象を与える女性です。


出所:Kaouther Adimi on Facebook
https://www.facebook.com/Kaouther-Adimi-109987733817799/

 
出所:SEUIL(https://www.seuil.com/ouvrage/nos-richesses-kaouther-adimi/9782021373806


物語の始まりは1930年代半ばのアルジェリア。主人公は弱冠21歳の青年。ほぼ無一文で書店兼貸本屋兼出版社を立ち上げた実在の出版人、エドモン・シャルロ(Edmond Charlot, 1915-2004)― 文学にはかなり疎い私でもさすがに知っているアルベール・カミュを世に送り出した人物とのこと。店の名前は〈Les Vraies Richesses〉 ― レ・ヴレ・リシェスと読んで〈真の富〉― 本書を読み進めてまもないうちに現れる一節を引用しましょう。「読書する一人の人間には二人分の価値がある」(p.9) ― 可視化され数値化された物事にいとも容易く踊らされがちな現代において、本を読むという行為は「眼にこそは映らぬ形なき価値あるもの」のひとつとして大きく挙げることができるのではないかと思います。


出版不況、斜陽産業、そんな文句が囁かれて久しく、駄本でも売れ良書でも売れない、また駄本でも出し良書でも出さない傾向はいただけません。そんな状況に陥ったまま長く代わり映えのしない出版大国日本において、けれども書籍文化の高みを示し、活字世界の奥深さを見せる作品が、東証一部上場の大手出版社や創業年の古さが売りの老舗出版社ではない版元から少なくはなく世に放たれている現実には、それが一面とはいえ確かな意義を見出し、また一人の読者として純粋な歓びをも感じとることができるのです。


例えば総じて日本の大学教員などは、神保町辺りの「高尚な」出版社から自著を出すことに自尊心が満たされるようですが、本に価値があるのだとすれば、それは記述の総体にあるのであって、版元の名前に存するわけではありません。この「名前の力」に侵食され支配されがちな現代人の実相というものもまた、完治することがないであろうと予想される重大疾患のひとつと言えるでしょう。


エドモン・シャルロが追い求めた〈真の富〉はいかなるものであったのか、そこで目指されたものは何であったのか、それゆえに生み出されたものはどのような「遺産」となりえたのか。自他ともに認める斜陽産業、出版業界に身を置く方々には、とりわけ手に取っていただきたいと願う一冊です。


出所:T24(https://t24.com.tr/k24/kitap/zenginliklerimiz,408


書誌情報:カウテル・アディミ『アルジェリア、シャラ通りの小さな書店』平田紀之訳、作品社、2019年
(作品社ホームぺージ書籍案内 URL : https://sakuhinsha.com/oversea/27846.html


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