Photo by Steven Libralon on Unsplash 校閲の仕事は、自分の好きなことが実務で活きてくるケースがあります。映画、音楽、演劇、絵画、グルメ、サブカル、スポーツ、旅行、何でもいい。学問分野も同様です。歴史学、宗教学、民俗学、人類学、考古学、言語学、政治学、経済学、社会学、化学、数学、生物学、物理学、宇宙科学等々、もっとあるでしょう。そのほかIT・金融・労働・福祉・教育・医療関係など、この〈世界〉は多岐に及び、社会におけるそれらの発現の一つとして、数多の書き物が出回っているというわけですね。市場への流通を前に、その制作工程において一定の〈面積〉を占めている仕事の一つが校閲です。 自分に「できること」は多くない、あるいは何もないという人でも、自分の「好きなこと」となれば違ってくるのではないでしょうか。〈好きこそ物の上手なれ〉という言葉もあるように、好きで夢中になれることのある人は、誰に言われなくても対象に向かって突っ込んでいくものですよね。そんな「何か」に関してならば、おのずと知識が増していくものですし、身体的な実践を伴うことである場合には、知識に加えて上達や熟練も見込まれます。そうした過程の只中にあったり、何らかの到達点に至ったり、ある一定の成果を得たりする、すなわち「ただ好きだっただけのこと」が結果として身に付き、自身の特徴的な能力にまで昇華した場合、それは職業人としての〈血肉〉となって、校閲という一つの仕事においても活かされるようになる。校閲ジャンルの「私の得意分野」と化すことがあるわけです。 身近なところで例を挙げれば、競馬歴30年余のフリーランスで、競馬新聞の仕事を長年やっている知人がいます。自分は賭け事と無縁で来ましたので、競馬新聞はどのように校閲すればよいものか見当がつきません。競馬新聞は手に取ったことすらないんですね。ですから仮に話があったとしても、できて校正、間違っても校閲は請けることができません。それから料理が好きで腕前もセミプロレベルではないかという、やはりフリーランスで女性誌複数のレシピ欄の仕事をもう10年以上やっている知人がいます。調理や料理、食材や器具には、外国語も含むさまざまな言葉があるのでしょうし、「ここで『茹でる』はおかしい」「そこで『いちょう切り』はない」「絶対『5分程度』はありえない」等々、突っ込
Photo by Lubo Minar on Unsplash 記事のタイトルを考えたときに「フリーランスという生き方」という安直なフレーズが浮かんだものの、すぐに却下したのは偉そうだなと思ったからです。だいたい生き方などというものは、実際語りきれるのかという疑問もにわかに生じましたのでね。その昔「オレ流」というのがありました。当時プロ野球選手だったある有名人から発生した言葉ですが、これなども穴があったらこちらのほうが入りたくなるぐらいに気恥ずかしい。ところが最近になって、今春から配信を開始したというこの方の動画サイト名に、懐かしくも再び「オレ流」の文字が躍っているのを目にしてしまいました。ただ単に相性が悪いのでしょう。女とはいえ江戸っ子の私からしますと、いい歳をした大の男がベラベラベラベラいつまで経っても「オレ語り」を展開するのは、美しい男らしさと遠く離れて整合しないように思われます。 ご覧の通りタイトルは「選択」という言葉に落としましたが、これは自分にとって実際にも選択であったことが大きいですね。在宅校正者としてかれこれ10余年、会社勤めという主流の働き方に終止符を打って以降、短くはない時間が経過しました。行きも帰りも満員の電車で疲弊するのが日課の一つという、ごく一般的な社会人の在りようとは無縁の暮らしです。タイムカードもなければ、給湯室で上司の悪口に花を咲かせることもなく、アフターファイブでまずい酒を吞まされることもなければ、銀座のコリドー街でちゃらい男に引っかけられることもないレモンのように爽やかな日々。 目を奪われるような種々の煌めきからは遠い半面、目に障って仕方がないガラクタのような人間やろくでもない出来事に煩わされることも大方ないと言ってよい「まるでここは小宇宙」のごとく単独の、しかし自身の居場所を確かに捉えることができる時空間。たとえ小さくともまとまり、自らの制御と掌握が利く日常が、いいか悪いかを別とする現在のライフスタイルです。そんな暮らしぶりにご関心を寄せる方々には、今回の記事も何かしらお役立ていただくことができるのかもしれません。 ご承知のとおり、新型コロナウイルス感染症の影響により、いまだ世界は平常の暮らしを取り戻しきれてはおらず、さらにはロシアによるウクライナ侵攻等も重なり、ますます先が見通せない状況に陥っています。そうし