投稿

ラベル(校正業界)が付いた投稿を表示しています

小説の校閲をやらない校閲者もいる ~ マイケル・サンデル大先生をお手本に『これからの「お金」の話をしよう ―― ずっと生き延びるための校正料金』

イメージ
画像:Harvard University( https://scholar.harvard.edu/sandel/photos ) 校閲イコール小説だなんて思いもしていないのは、当の校閲者ぐらいでしょうかね。「小説の校閲をやらない校閲者もいる」―― これは私自身がそうなんですよ。自慢話ではありませんけどね(笑)逆に自慢できない話ではないかと思いますが、 ただひと口に校閲といいましても、書籍というのは皆さんもご存じのとおり、いろいろなものがあると申し上げたいわけです。 小説の仕事を請けない理由は好きじゃないからで、出版社にもそう伝えてあります。ですから小説の依頼は来ません。ゼロです。出版社の社員の方々を相手に「小説は好きじゃないからやらない」などと発言すると、どんな言葉が返ってくると思いますか。「分かりました」で簡単に終わりです(笑)そんな口をきいたところで驚かれはしませんし、ドン引きなどもされません。大丈夫です。 あ、そういえば昔、もう十数年前ですが、某出版社の編集者兼採用担当で1名いましたね。「え~? だってさ~、校閲やりたいんでしょ~? 校正の人ってフツー小説やりたがるもんじゃないの~?」――この口のきき方ね。ぶっ飛ばされてえのかてめえ。笑って言ってましたよ、禿げたおっさんが。こちらも笑みを浮かべつつ「肝心なことをお尋ねしますが、御社の文字単価はおいくらですか?」と返しますと「34銭。ま、スタートはね!」とのこと。有名な出版社ですけれどもね。ここは大きな注意点ですが、立派な社名と校正料金が比例しないのは未だに珍しいことではありません。 昨今でいえば〈やりがい搾取〉のいい見本です。「馬鹿かこいつ」のひと言でしたね。「それですと食ってけないなら自殺でもしろって安値ですよ」と返しますと「アナタ面白いこと言う人だねえ~、その意気だよ!」――こいつはほんとに馬鹿だったというお話なんです。続きがまた驚きでしてね。「これさ~、いま持ってきてるんだけどやらない?」――大きな紙袋からゲラを取り出して見せるんですね。「英語いっぱい出てくんだよね~、やりがいあるでしょ!」――馬鹿は死ななきゃ治らないんですよ皆さん。〈 馬の鼻先に人参ぶら下げろ作戦〉の実例です。 出版業界の面積デカすぎる暗部がここなんですよ。多くが今も変わらない。大問題だと思いますね。いつまでもそんなことでは能力があ

校閲の仕事をしていて「いい気分」になったこと

イメージ
  校閲のお礼にと著者の男性から老舗和菓子店の箱詰め最中を頂いたことがある。 校閲者が校閲を行うのは当たり前ですが「いやいやそんな、お礼なんてとんでもない。当然のことをしたまでですよ」とは思わなかったですね。私はそこまで 生意気な人間ではないんですよ、実はね(笑)  へえ~。  こんな人もいるんだな~。  ずいぶんきちんとした人だな~。  こういうことができる人っていいよね~。  感謝する気持ちがまず素敵でしょ~。  それを行動で示せるのがまた素敵でしょ~。  ストレートでいいよね~。  しかも「女性に」よ~。  高倉健みたいだよね~。  世の中こんな男性ばかりだったら毎日笑ってられるよね~。    実際に健さんだったらどんな感じなのでしょうか。  「気持ちばかりですが、よかったら召し上がってください」       ・・・・・・(空気)  「それじゃ、お元気で。失礼します」    ・・・・・・(空気)  (おしまい)    で、箱詰め最中をスッと置いてサッと行く。ダラダラそこにいないで立ち去る。これが男だね。いつまでも突っ立ってたり、引き止めようとして話しだしたりしなーい。連絡先を聞きだそうなんてもってのほかほーか。「高倉健」というのはだから手が届かない、難しいものだろうとは思うけどね。 私は出版社の編集部や校閲部の社員に直接リクエストするんですよ。「高倉健の企画があったら私に任せてほしい」―― だいたいどう答えると思います?――「そうなんですか!ファンなんですか!了解です!ありがとうございます!」――すごい簡単(笑)――芸能関係では他に西城秀樹も言ってあります。 100パーセント仕事の話ですから、こういう積極性は歓迎されるのでしょうね。「そんな口は今まできいたことがない」という人は一度やってみてください。 世の中いろいろな仕事があって、そのうちのひとつ、校閲職にも当然言えることですが、長く大真面目にやっていますとね、そんなふうに美味しい箱詰め最中がいきなり眼の前に現れる、思いも寄らない出来事がある日、空からストンと降ってくることもあるわけです。実務経験5年未満の人は、しぶとく仕事を続けていってください。しぶとさは能力であり武器でもある。おまけにフリーなら定年無し、それこそ死ぬまでやっていられる「貧困大国カネ無しジャパン」においては大きな強みともなり得るのですから、

実務経験四半世紀でも「できない」ことはいろいろある

イメージ
  紙でしか仕事をやらないんですよね。紙でしかできないと言い換えることもできます(笑) 昨今はいろいろやり方があるようですが、今後も紙以外はやる気がないですね。時代にマッチするとかしないとか、何につけ考えないタイプです。 だいたい時代がどうだからこうだからと言われたところで、ヒトは生身。一から十までAからZまで、いちいちいちいち合わせてられなくないですか 。 実務経験もあと1年半ほどで通算四半世紀になりますが、だからといって何でもできるわけではもちろんありません。ジャンルでいえば医学書などもずっとできないままですし、これからもできないままでしょう。校閲が無理ですよ。やる気も全然湧いてこないですね。 むかしむかし校正会社にいた頃、医学書ばかり単独で請けている女性がいて、会社の指示でヘルプに入ったことがあります。ですから経験したことがあるにはあるんですが、分からないことが多すぎて質問ばかりになりました。ヘルプになっていなかったですね。逆に彼女の足を引っ張って大迷惑なだけじゃないかと思いつつやっていました。学校ではない、あくまで仕事なわけですから、なんだか役に立っていなさすぎて「恐縮大会」って感じでしたね。 それでも彼女は親切に、よく教えてくれました。「独立、在宅、独り仕事」もいいですが、校正会社に属して働くことの利点はこういうところにあると思います。仕事と直接には関係のない話もいろいろ聞かせてくれたりして、いい経験になりました。今振り返ると仲間の出現というか、彼女にとってはそんな新しい存在が新鮮で、喜びのように感じられたのかもしれません。一人で充分やれるけれども、二人以上で組んでやる仕事もオーケーだし、教えることも苦ではない。それはそれで別種の楽しさ、面白味があるという受け止め方ができる人だったのかなと思います。 そんな貴重な機会に恵まれたにもかかわらず、私がそのとき学び得たのは「医学書は絶対無理だ」と自覚したことぐらいでした(笑) ただ、 「これの校閲ができるのは、キャリアとして完全にパワーだなあ・・・」とは思いましたよね。やれる人が少ない分野は存在価値が高いうえに、働き方さえ外さなければ報酬も高くていいですね。 超高齢社会の日本、世界に誇る長寿の国においては、需要も右肩上がりなのではないでしょうか。「紙でしかやらない」とか言っていないで(笑)機器に強い人や自信のある

商業印刷物と英語力、報酬の高い校正会社を薦める理由

イメージ
起床時間は午前4時、朝勉強は8時まで。目下のところは英文法、次いで英語関連の和書を読む。英文法は数年に一度の周期で画像の洋書「English Grammar in Use」に立ち戻る。第2版(写真左)を長く使っていたが、今では第5版(同右)が出ていることを知ったのがつい最近。気分一新で今月に入り最新版を購入した。表紙の明るいブルーが気に入っている。 不変の「見開き1単元」が魅力の本書。構成は向かって左のページが文法解説、右は練習問題。ペースが取りやすく弾みがついてパンパカ進む。左は一読のみ、右に移って解答は声に出しながら紙に書きつけていく。コピー用紙A4白を使用。表と裏が埋まったらゴミ箱にポイ。 校正・校閲職志望者でTOEIC860以上または同等レベルの英語力があり、校正会社に登録・所属することを考えている人は履歴書に書いて面接でも大いにアピールしてほしい。昨今スコア900以上の人も珍しくはないが、それだけの能力を持つ人が「基本和文の校正会社で」仕事をしようとするなら僅少の枠に入ることができる。いわゆる希少価値だから仕事が拡大・増大する可能性がある。 ここ10年余りは書籍の仕事がメインだがそれ以前、商業印刷物の仕事を主としていた頃は、大手の広告代理店・印刷会社の英語案件を多く請けていた。当時は独立前だから仕事を受注するのは校正会社営業担当。そこから打診を受けて1本また1本と単独で作業する。完了したら中身の現状、作業の実際等に関する説明を加えて営業担当に返却する。 稀に発注企業担当者が「作業者と直接話したい」と言うこともあり、その場合は電話になる。あるいは返却時、営業担当に同行することもある。営業担当は英語に関する説明ができないからだ。校正会社営業担当・発注企業担当者のいずれにしても、電話・対面のどちらにしても、案件をあいだに挟んで口頭でやり取りをするのは大事。最近これをやらない企業が多い。パンと郵送してきてポンと返送する、トンと受領してハイおしまい。話すことを欠いている。 受発注が頻繁で信頼関係も確立されているならそういうときがあるのもいいが、そうでもないのに「無言」が常態化するのは違うと思う。1995年11月のWindows日本上陸から四半世紀余り。その昔はきいていた口を人はどんどんきかなくなった。世の中が悪いときほど直接に「本当の」言葉を交わし合う、そうして人ら

和暦・西暦、併記の場合は要注意

イメージ
校閲ともなればどこもかしこも要注意で、和暦や西暦その併記に限ったことではないのですが、この部分の誤植というのは致命的ですね。 先日の記事 で触れた参照頁の誤植と同様、読者に対して著者をはじめとする制作側の作業者に反論の余地がない、平謝りパターンに挙げられるものと思います。 上の画像は長年使用している和暦・西暦の早見表で、 永禄7年(1564年)から令和25年(2043年)まで載っています。ずいぶん前にネットで見つけたサイトを プリントアウトしたもので、使い勝手がいいんですね。当該のサイトは削除されており、残念ながらここでご案内することができません。 「ああ、そーか、ネットから消えること も当然あるわけだな」と気がついたのが吞気なことに数か月前。どこか他のサイトでいいのはないかと検索してみたところ、幸いすぐに見つかりました。下の画像がそのサイトをプリントアウトしたうえ、自分のいいように切り貼りして作り替えた〈新・早見表〉です。( https://seireki.hikak.com/y1400.php ) こちらは応永7年(1400年)から令和15年(2033年)まで載っているので〈旧・早見表〉よりも150年ぐらい長いバージョンです 。 今日は 先般の投稿記事 と同様、筑摩書房さんのホームページに掲載されている正誤表から、和暦・西暦併記の記述、その誤植の実例を取り上げたいと思います。 画像:筑摩書房( https://www.chikumashobo.co.jp/blog/news/category/9/ )※一部加工 まずはオレンジの囲みから。歴史上の出来事の発生年か何かでしょうか、とにかく1年違っているという誤植です。 和暦が明治22年で西暦が1889年とあるのは誤りで、正しくは明治21年に1888年。「たった1年ぐらいどうってことないじゃないか」とは決してならないのが世に出る活字の世界であり、校閲者にとって言えば、そこに手を入れるのが仕事そのものであるわけです。1年にせよ2年にせよ、誤りは誤りということですね。さらに悪いのは、この誤植が1か所にとどまらず4か所に及んでいる点です。暦に関しては「一般に不詳」の実際もありますが、その場合は不詳だと記されていれば問題がないわけで、不詳であるのと誤りであるのとでは言うまでもなく異なります。 次にまいりましょう。グリーンの囲

いつか小学理科の仕事ができるかもしれない

イメージ
  これ以上低いレベルはこの世に存在しないところまで遡り、理科を学び直すことになりました。 先日の記事 で触れたように、一度卒業して再入学した放送大学で理系科目の先取り学習に取り組んでいたのですが「それ以前の問題でしょう?」と知識不足も甚だしいことが判明したからです。知識不足という言葉も上品すぎるかもしれません。知識がほとんどないですね(笑)「頑張ります!よろしくお願いします!」と元気よく言ってしまうほうが、かえってさっぱりする感じです。うーっ!😆 高校の地学や生物も無理、中学の理科も無理、いったいどこまで遡れば基礎固めの勉強ができるのだろうかとネットで調べてみました。すると最大で(笑)小学3年生のレベルまで遡れることが分かったのです。「そーなんだ!小3レベルならなんとかいけるかも!」――気持ちが一気に上向きになりました。いい学習書はないかとキーボードをパパパン、タタタン、軽快に叩きましたよ。もう気が大きくなっていますからね。パパパパパ、タタタタタ・・・。〈単純は力なり〉のひと言です😊 いやー、風が吹いていますね。簡単に見つかりましたよ。「あったあった、イェーイ!」――すでに勝ったような気分です。 上の画像がその本で版元は学研プラス 。今の自分にすごく合いそうな教材です。「これならいける!きっといける!」――ひとすじの光がサーッと差し込む感じですかね。その明るさでテラテラ照らされる感じですかね。「あーよかった!〈叩けよさらば開かれん〉だね!」――50代になっても小学生の子どもが教わることをズンズン学べるこの自由、いいですよねー🌈 カバーだけでなく、中身もマンガがいっぱいです。ふ~ん、仕事で見るマンガと好きで見るマンガは違いますね。登場人物は小4の男の子でこの本の主役の「はじめ」くん、理科準備室に住みついているというカッパの名前が「りかっぱ」ちゃん(あーあ、いい意味で力が抜けていくね・笑)そのほかクラスメートで勉強ができる「まり」ちゃんのあだ名は「ミスサイエンス」ということで、とっても賑やかです。紙面から明るい声が飛んでくる感じですよ。「頑張るあなたの味方だからねっ!」――耳、大丈夫かな。「どうもサンキュー心強いです」😂 学習参考書や問題集の仕事は以前から断トツで英語物が多く、理系は未経験なんですよね。それにこれほどマンガが全開している教材も扱ったことがありま

出版社の正誤表で誤植の実例を見る

イメージ
画像:筑摩書房( https://www.chikumashobo.co.jp/blog/news/category/9/ )※一部加工 今日は出版社の正誤表で誤植の実例を見ることにします。最初に申し上げておきたいのは、この正誤表を目にしただけで「なぜその誤植が生じたのか」は定められないということ。制作工程に問題はなかったか、校正者のレベルに問題はなかったか、手配担当者による人選に問題はなかったか、作業の細かな部分で問題はなかったか、例えば校正者による指摘や入朱、著者による入朱等の拾い上げやその処理に問題はなかったかということですね。さらには著者と各担当者が置かれた作業環境や条件、例えば健康面や士気、役割の範囲や料金・納期の点で問題はなかったか等々、疑問を差し挟む余地は複数に及んで存在するからです。 本記事ではその内実を明らかにすることを目的にはしていませんし、仮に第三者の自分がそれを突き止めようと試みたところで果たされるものでもありません。言うまでもなく、制作に携わった関係者以外は誰であろうと知り得ないことです。また、それとは別に言えることとして、誤植の多くは時に狭い範囲から時に広い範囲にかけて、当該の誤りの前後を読み通さない限り、その誤植がどのような次元の「落とし」であるのかを定めることができません。 画像:同上  百歩譲って画像の正誤表を見るだけで捉えることができるのは、ある記述のなかで「充実のために行政基盤」とある箇所は「に」ではなく「の」が適切であったから誤植である(上の画像の赤い矢印1つ目)、「村が停滞しているか」とある箇所は「が」ではなく「は」が適切であったから誤植である(同2つ目)という最小限の事実に限られます。当該の書籍は自分の手元にありません。それは今この記事を読んでくださっている大半の方々と同じでしょう。そうした一つの特殊な環境下で、正誤の別が記された一点、それのみを見る試みだということを押さえていただければと思います。 さて先述の赤い矢印1つ目と2つ目の誤植から予想されるのは、文の流れを摑めていないがゆえの落としではないかということですね。通りの悪い文を通りの悪い文と感知することができれば、作業者が手を出す所です。「に」ではなく「の」、「が」ではなく「は」、そのほかにも「を」ではなく「に」、「から」ではなく「こそ」が適切である等々、文字数は一

好きなことが得意分野になる校閲の仕事

イメージ
  Photo by Steven Libralon on Unsplash 校閲の仕事は、自分の好きなことが実務で活きてくるケースがあります。映画、音楽、演劇、絵画、グルメ、サブカル、スポーツ、旅行、何でもいい。学問分野も同様です。歴史学、宗教学、民俗学、人類学、考古学、言語学、政治学、経済学、社会学、化学、数学、生物学、物理学、宇宙科学等々、もっとあるでしょう。そのほかIT・金融・労働・福祉・教育・医療関係など、この〈世界〉は多岐に及び、社会におけるそれらの発現の一つとして、数多の書き物が出回っているというわけですね。市場への流通を前に、その制作工程において一定の〈面積〉を占めている仕事の一つが校閲です。 自分に「できること」は多くない、あるいは何もないという人でも、自分の「好きなこと」となれば違ってくるのではないでしょうか。〈好きこそ物の上手なれ〉という言葉もあるように、好きで夢中になれることのある人は、誰に言われなくても対象に向かって突っ込んでいくものですよね。そんな「何か」に関してならば、おのずと知識が増していくものですし、身体的な実践を伴うことである場合には、知識に加えて上達や熟練も見込まれます。そうした過程の只中にあったり、何らかの到達点に至ったり、ある一定の成果を得たりする、すなわち「ただ好きだっただけのこと」が結果として身に付き、自身の特徴的な能力にまで昇華した場合、それは職業人としての〈血肉〉となって、校閲という一つの仕事においても活かされるようになる。校閲ジャンルの「私の得意分野」と化すことがあるわけです。 身近なところで例を挙げれば、競馬歴30年余のフリーランスで、競馬新聞の仕事を長年やっている知人がいます。自分は賭け事と無縁で来ましたので、競馬新聞はどのように校閲すればよいものか見当がつきません。競馬新聞は手に取ったことすらないんですね。ですから仮に話があったとしても、できて校正、間違っても校閲は請けることができません。それから料理が好きで腕前もセミプロレベルではないかという、やはりフリーランスで女性誌複数のレシピ欄の仕事をもう10年以上やっている知人がいます。調理や料理、食材や器具には、外国語も含むさまざまな言葉があるのでしょうし、「ここで『茹でる』はおかしい」「そこで『いちょう切り』はない」「絶対『5分程度』はありえない」等々、突っ込

校閲に必要な三つの能力

イメージ
  Photo by Shumilov Ludmila on Unsplash 仕事は大方書籍の校閲だと言うと「すごいですね」と返ってくることがある のですが、おそらくそれは、なんでもかんでもよく知っている、ものすごい知識量を持った人なのだと誤解するせいではないかと思います。なんでもかんでもよく知っている人など、この世にひとりもいないはずですし、自分を例に挙げれば、なんでも知っているどころか、知らない、分からない、興味もなければ関心もないことのほうが圧倒的に多いですね。 校閲に必要なのは第一に「ここは正誤を確かめないとだめだな」と〈問題の山〉の部分が百あれば百すべて拾い上げる能力。第二に「それを確実にするために当たるべきはここだな」と〈解答の家〉のある場所に誤らず辿り着くか、端から正解を知っているかの能力。第三にそれらを提起する際、編集者と著者が再考・撤回・修正等へと導かれうる適切な言葉を用いて的確に伝える能力。これはコミュニケーション能力とも言えますね。 最後の第三については、こちら側の指摘の根拠となった参照資料を提示するのが良いと思います。目にすれば明らかですから実効性がありますし、編集者と著者が改めて調査し、確認をする作業に費やす時間と労力を省くこともでき親切です。 もう少し細かに言えば「ここはこうですよ、そこはこうですよ」と、あくまでこちら側が出した結論のみをゲラに書き込むような〈言いたい放題〉の在り方では、たとえそれが正しくても先方とて大人ですから、言われるがまま即座に応じることはなかなかできないものですよね。「これのどこが違うの?」「何を根拠に言ってるの?」という反応は、自分の身に置き換えても、ごく自然なものだと思います。先述した「コミュニケーション能力」は、ここのところを指す重要な部分となります。 「伝えたい、分かってほしい」――そうであるなら口だけではなく態度で示す、そうと言い換えることもできるでしょう。誠実さですね。「そのぐらい言わなくたって分かるでしょう?」という手前勝手な在り方は、どんな仕事においても、また様々な人間関係においても「それでは通らない」幼稚で厄介なものだと思います。 先に挙げた三つの能力が求められ続ける一冊の本の〈記述の海〉を単独で進み、大波小波をかきわけながら最後の最後の一行まで気を緩めることなく集中し、優れたフォームと極力速

中小企業庁、名指しの調査協力依頼

イメージ
毎年のように秋になると「やってくる」中小企業庁からの「あなたさまは取引先からいじめられていないでしょうか」の調査協力依頼。以前は封書での郵送・返送形式であったものが、いつからでしたか画像のようなハガキで到着、オンラインでの回答形式に変わりました。たまたま忙しいときにぶつかってしまうと時間が取れず、回答不可となることもあるのですが、今年は若干忙しい合間を縫って提出を済ませました。と言いますのも、年度によっては「何か困ったことは起きていませんか」というお伺いのみなのですが、そのほかにもうひとつ「この取引先との間で問題は生じていませんか」と中小企業庁側が特定の企業を名指しして調査協力依頼をよこすケースがあり、今年は後者であったためです。 我々回答者側からの〈よくある質問〉Q5には、ご覧の通り「調査回答したことや回答内容が親事業者などに知られることはありませんか」と記されています。回答することに不安を覚える人々が少なくはないのでしょう。取引先から「やり返されはしないか」と恐れる人々が存在するということですね。逆ギレすなわち「報復行為」と称されるものですが、察するに相も変わらず体質が古く頭の悪い親事業者が跋扈しているのでしょう。本当に残念なことですね。いや我々のほうがではなく旧態依然とした懲りない企業のほうがですよ。そんな「強者」まがいの取引先を相手とする我々「弱者」設定の労働者を安堵させる文言がA5に記されています。「本調査にご協力いただいたことについては、秘密を厳守いたします」―― なるほど。「それなら安心、回答しようか、実際こんな困ったことが起きているし、聞いてくれるものなら聞いてほしい、助けてくれるものなら助けてほしい」――そんな感じの流れになるのでしょうかね。よくは分かりません。国に泣きついたことは過去にありませんのでね。 私に関して言うならば「いやいや、名前出してくれて結構ですよ、全然オッケーです、永山です、永山明子です」――「あの、永山さんて女性なんですけれどもね、これがまたやたらと弁が立つ感じの方で、お話を伺いましたらこんなこともある、あんなこともあると仰っているんです」―― そんな調子で思いきりやっていただいて結構なんですよね。何が言いたいか。世の中びくつくばかりが能じゃないってことです。人を頼りにするのもいい、そうした「気の毒な話」に耳を傾けることを職務と

フリーランスの泣き寝入りは発注企業の思う壺

イメージ
年明け最初の投稿になります。今年もよろしくお願いいたします。 本日は、2022 年1月27 日配信のニュース記事をひとつ紹介したいと思います。 上の画像はご覧のとおりNHKですね。いろいろ大変な昨今ですが、フリーランスの皆さんも非常に厳しい状況にある方が少なくはないでしょう。まずはササっと「泣き寝入り」の文言を安い辞書から削除することにいたしましょう。校正用語でいえば「入朱」ですね。赤ペン1本を取り出して「トル」と書き込むだけでOKなんです(笑) 赤色の囲みを見てみましょう。厚生労働省等がフリーランスを対象とする相談窓口を開設しているのですね。名称は「フリーランス・トラブル 110 番」― なるほど「110 番通報」ということですね。ひゃくとーばん・つーほー、ですね、分かりました、覚えておきましょう。記事によれば、2021 年 11 月末までの1年間で寄せられた相談件数はおよそ 4000 とのこと。政府も対策強化の検討に入っているそうですから、おそらく本件は推進されるものとみてよいでしょう。 緑色の最初の囲みを見てみますと、企業などから個人で仕事の発注を受け、報酬を得ている人は、2019 年時点で約 170 万人に上るとのこと。「ああ、私もそこに入っていますよ」と一言。同時に、労働人口全体から見れば依然として少数派、マイノリティなんですね。このマイノリティというものですが、そこに目を向ける、威勢の良い言葉を使うなら、そこに突っ込んでいく政府であるか、いや「イキ」「ママ」(校正用語)とする政府であるかという点は、21 世紀現代において一国の成熟度を測るモノサシのひとつといえるのではないかと思います。 次に緑色の2番目の囲みですが、ここはすべて引用しましょう。 フリーランスは雇用契約を結んで働く労働者のように定期昇給やベースアップなどで収入が増えるということはなく、法律で定める最低賃金も適用されません。 そのとおりですね。知っていますよ、当事者の私はもちろんのこと。しかしこれは私を含むフリーランスの人々のための文章ではありませんね。派遣社員、契約社員、パート・アルバイトで働く人材以上に「雇用の調整弁」としてフリーランスをいいように扱い、倫理や人道、正義といったものからは遠く離れた当該企業の全関係者が読むためにある文章ではないでしょうか。 2022 年1月14日付「ユニオ

トマト三昧、短文限定サイト開設

イメージ
当ブログの姉妹サイトの位置づけで、新たなサイト『 在宅校正者の日々短文ブログ』 を開設、今日から投稿を始めました。サイト名のとおり短文限定のブログです。「超」を付けてもよいぐらい本当に短いブログなんですよ。余白もありながら多くて 10 行程度。1分と言わず 30 秒もあれば読み終えていただけるのではないかと思います。 仕事は幸いなことに1年を通じて繁忙期も閑散期もなく、いつでもたいがい仕事があるといった調子の在宅ワーカーなのですが、今年は取引先のうちの1社が年末に向けて新刊本が目白押し、とても忙しくなるとのことで、10 月時点から「よろしくメール予告」を受けており、すでにその状態になっています。 しばらくまとまった記事が書けないかなと残念に思っていたところ、いい考えが浮かびました。「そうだ、短いブログを始めよう!」―  多少忙しくてもササっと書けるブログサイトを作ればいい。私は書くことが好きなものですからね。 早速 Google のブログプラットフォーム Blogger で、タタタ、タタタン、テテテ、トトト、パパパ、パパパンと作成に着手。「目にすると活力が湧いてくると言われる〈赤〉をベースの色にしたい」と思いました。サイトの背景画像には複数のトマト、プロフィール写真もトマト、投稿文に添える画像もトマト。トマト三昧「赤でいっぱい」のブログです。 サイト名は「トマト通信」「トマト便り」「トマトの部屋」「トマトの声」等々、いくつか案が浮かんだのですが、最終的には「日々短文」― 分かりやすいものに決めました。赤、赤、赤 ―。魔除けの色とも聞きますね。読者の皆さんにも赤の「活力」が伝わり「魔除け」の力が及びますように。 初回の記事タイトルは「 起床時間は午前4時 」です。 ぜひお気軽にご訪問ください。 ※1 このサイトは2022年7月20日に閉鎖いたしました。 ※2 当サイト上の〈他サイトアーカイブ〉クリックで、投稿したすべての記事をご覧いただけます。 *****

書籍校正者は「漢字博士」か?

イメージ
Photo by kaori kubota on Unsplash 「書籍の校正や校閲の仕事をしているような人は、およそ知らない漢字などないのだろう、やたらに画数の多い〈薔薇〉のような漢字もササッと書けたりするのだろう、何と読むのか分からないような難しい漢字でも、薔薇より画数の多い漢字でも普通に書くことができるのだろう、まさに漢字博士ですよね、あ、漢字検定なんかも1級とかお持ちなんでしょう? いやお持ちでなくてもね、パッと受験したらパッと受かっちゃうんでしょうね、あの、やっぱり大学は国文学科をお出になっていらっしゃる?」 いいえ、そんなことはありません(笑)このサイトでも何度か記事にした放送大学に編入学する前のその昔、私は早稲田大学第二文学部の学生だったのですが、中退のうえ専攻は歴史学でしたし、漢字検定などは1級どころか受験したことすらないんですね。校正・校閲の仕事をしている人間が国文学科を出ているとか、とりわけ文学を好んでいるといった顕著な傾向などというものは、少なくともフリーで働く人間の間には見られません。言い換えれば、国文学を専攻していなくても文学に疎くても、校正者や校閲者にはなれるということです。 例えば本を読むより釣りやゴルフや料理が好きだという人もいますし、大学で心理学を専攻した人が、オフィス用品の分厚いカタログ校正に取り組んでいたりもします。消しゴムやクリップやセロハンテープや蛍光ペンの写真と価格と商品名等を確認し続ける校正作業で、日に軽く数万を稼いでいたりもするんですね。フリー校正者のバックグラウンドは実に多様です。 私の職歴は直近  13  年、それよりかなり前にも校正の仕事をしていた時期があり、通算  21  年ですので短くはないほうに入るかと思いますが、ある時期まで、こと漢字に関しては弱かったんですね。もともと日本語が好きではなく、 10  代の終りごろから外国語のほうに大きな比重をかけていました。日本語以前に日本自体が好きではなかったので反動が大きかったんですね。英語にフランス語、韓国語にドイツ語とやたらに手を伸ばしていました。 結果、校正・校閲の仕事でも対応可能な実力がついたのは英語と韓国語の二つだけですが、英語一つにしましても「ある程度できる」ぐらいで「外国語がよくお出来になるんですね」ということになってしまう国ですから、英・韓はも

校正入門、はじめの一歩は独習可

イメージ
「校正実務は未経験、やはり通学制の専門学校に行くのがベストだろうか、あるいは通信制の講座を受講するのはどうだろうか」等々、校正の学び方について悩んでいる方にお勧めしたいのが「とにかく実践」の第一歩として、書き込み式の練習帳を用いた模擬校正を「まずはやってみる」という入り方です。校正とは云々という類いの書き物は、エッセイにしろ指南書にしろ、あるいは教本でさえあったとしても、それらをどれほど読み進めたところで「実務に触れる」ことはできませんよね。「ああ、そうなのか、ふ~ん、なるほどね」という〈外から眺める校正〉は後回し、〈自分が当事者になる校正〉を優先するのがよいのではないかと思います。言うまでもなく校正は、実務をもって校正でもありますのでね。 上の写真は、 日本エディタースクール 出版部 発行の『校正練習帳』という本で、タテ組編とヨコ組編がそれぞれ出ています。定価はいずれも  500  円(本体)プラス消費税で1冊  550  円。試しにちょっとやってみるのに金銭的な負担も少なく、分量も各  60  頁ほどの薄い本ですから、あまり時間を要さないという点でもお薦めです。端から事細かに書かれている重量級の本を摑んでしまうと挫折する可能性も出てきますのでね。まずは大網を掬うという心づもりでトライするには格好の教材だと思います。他に用意するものは芯の太さが 0.38 以上 0.5 以下の赤ボールペン1本で  OK 。ちなみに私が使用しているのは、三菱鉛筆のジェットストリーム。ペン先の滑りが良く発色が鮮やか、つまり濃く書ける、さらには速乾性も高いという点で一択です。 下の写真はタテ組編の見開きですが、右頁は「①誤字を直す」、左頁は「②文字を入れる」となっています。1項目の学習が1ページで完結するコンパクトな構成なんですね。 ピンクの囲みの部分には、校正記号の標準的な書き方と入朱例(赤字の入れ方)が表示されており、次は入朱例のとおりに赤ペンを使ってなぞり書きを行う箇所、そして今度は自分自身で入朱する箇所が続きます。頁の下段には「こんな点にも気をつけよう」という見出しで、上段で示された以外の書き方や注意事項が記されています。この見開き  2  項目を終えると、そこで学んだことをきちんと習得できているかを試す練習問題が次の頁に用意されているんですね。「校正本番」の機会が短い間隔で訪れ

公正取引委員会と在宅校正者の長電話

イメージ
Photo by Vinicius "amnx" Amano on Unsplash 以前、公正取引委員会の希望で電話ヒアリングに応じたことがあります。所得補償保険の掛け金が優遇されることただ一点が魅力で数年前に加入した団体「一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会」から、ある日1通のメールを受信、協力要請のあった任意のアンケート調査に回答、返信したのが事の始まりでした。このアンケート調査では末尾のほうで「回答後に公正取引委員会から調査協力の依頼があった場合に応じるか応じないか」という趣旨の質問があり、私は「応じる」と答えました。同じ回答をした複数名の中に私も加えられたということでしょう、当該機関担当者から初めて直接のメールを受信したとき、自分のフルネームの近くには「No.△△」という形で2桁の数字が併記されていました。 そのメールには「この調査協力の依頼は、あくまで調査が目的であり、フリーで仕事をしている個々人に生じた、あるいは生じている個別の問題について相談を受けるものでもなければ、その解決に助力するものでもない」という趣旨の断り書きがありました。「ごちゃごちゃした話は聞きませんからね。こちらの知りたいことだけを話してくださいね」ということでしょう。加えて「電話で話す時間は 30 分程度」という趣旨の文言も記されていました。「長話はお断りです。こちらが聞くことだけに答えてくれれば 30 分で足りますからね」ということでしょう。 しかしこちらが何も言っていない、尋ねてもいないのに、依頼者側があれこれ条件を付けてくるというのもおかしな話で、それをまたおかしいとも思わずに平気で言ってのけてしまうあたりがさすが霞が関ですね。世間知らずぶりが炸裂しています。この二つの「予防線」は私にとってどうでもいい事柄でしたが、随分と用心深いものだなという印象を受けました。 東京・霞が関地区  出所:国土交通省ホームぺージ(https://www.mlit.go.jp/gobuild/kasumi_kasumi_kongo_kasumi_kongo.htm) だいたい国が助けてくれるものなら、とっくの昔に助けられていたはずなんですね。いったいどれだけ一人で闘ってきたか。何の後ろ盾もない個人がたった一人で企業を相手にするわけですからね。です