内向き日本が暗すぎる~シドニー語学留学回想記 ①


Art Gallery of New South Wales(ニューサウスウェールズ州立美術館)
上部中央はオーストラリアの国旗、左は先住民アボリジニの民族旗
1995年、筆者撮影


26 年前の春(南半球の豪州は秋)学生ビザでオーストラリアに初入国。成田空港まで両親が見送りに来てくれました。親子3人、いよいよここからは「搭乗者以外立入禁止」のお別れ地点に歩を進めたとき、今は亡き父親が歯を食いしばるように泣き顔になるのを堪えていた立ち姿を未だ忘れることができません。知人も友人もいない国へ世間知らずの吞気なお嬢さんが単独飛行。「向こうで万一お前が死ぬことがあってもパパは平気だから気にするな。お前が行きたい場所に行ってそこで死ねたんだと思うから余計なことは考えるな。好きなように思い切り楽しんでこい」― 日本を発つ数日前にそう言ってくれました。昭和一桁生まれの父親です。


余談になりますが、私が長年独身を貫いているのは、女の成長を決して妨げることなく支援し、たとえ一つの選択によって死ぬことがあったとしても、女が抱く夢や希望を尊び、さらには背中を押してくれるような優れて賢く人間的で腹の据わった男など、ただの一人としてお目にかかったことがないからです。

筆者撮影

豪州では The University of Sydney(シドニー大学)附属の語学学校、Centre for English Teaching(英語教育センター) に入学、上の写真は、そのとき学校から配布された日記帳で今でも大切にしています。慣れない異国での生活に戸惑い、言語が異なる社会のなかで疲弊しても不思議ではない、そうしたケースもあるのかもしれませんが、私の場合は大変容易に融合し、ワインも安い、食品も安いでトントントントン体重が増えていくというリラックスした日々を過ごすことができました。


四半世紀を過ぎて、現在ではかなり物価の高い国になりましたが、当時は非常に物価の安い国だったんですね。シティ中心部から電車で数駅の Edgecliff(エッジクリフ)駅下車、高級住宅地の一つに数えられる Darling Point(ダーリングポイント)という街で一人暮らしをしていた期間があったのですが、滞在中に円高が進んだことも幸いし、月の家賃はワンルーム6万円台から5万円台。それでも「ジャパニーズはお金持ち」の時代でした。今同じ所を借りるとしたら 15 万円ぐらいになりますから、様々な点でいい時期の渡豪であったと思います。

クラスメート撮影

この写真は学校で1コースの修了を迎えた最終日、教室内で撮影されたものです。担任は男女各1名、前から2列目中央、横並びのお二人ですが素晴らしい先生方でした。私がどこにいるのかはご想像にお任せしますが、6レベルあるクラスの上から2番目、Upper-Intermediate(上中級)に在籍。クラスメートの国籍は、日本のほか韓国、ベトナム、インドネシア、タイ、ベルギー。現在との違いは中国からの留学生が学校全体でも非常に少数だったということ。日本からの留学生は当時大変多かったのですが、大方は下から2番目か3番目のクラスに集中しており、それについては昨今でも変わりがないようです。


英語教育熱が高い日本でありながらこれはどういうことなのか。〈個〉の問題だと思いますね。そこが非常に弱くて薄い。罪でもないし悪気もないにせよ、そこが大問題ということ。とにかく引き気味で自己肯定感が低い、堂々としていない、信念やモットーがない、人の目を気にする、思うままを口にしない要するに口と腹が違う、言わないくせに不平不満を抱えている、陰では言うものの口論は避ける要するにいい人でいる、笑ってごまかす要するにずるい、社交辞令が多い要するに噓をつく、他にもたくさんありますね。


病的なまでに遠慮がち、薄気味悪いほどに控えめ、あれもこれも曖昧な同調、軽犯罪並みの見て見ぬふり、可笑しくなくても半端な笑顔、半径1メートル以内の人間関係埋没傾向、仲間でなくても横並びの安泰モード、一人のときは大人しくても集団となれば人格変化等々は、ガラパゴス・ジャパンの専売特許。英語圏を筆頭に〈しゃべりの文化〉の国々でそれは通用しない、何を考えているのか分からない人ということで信用も得にくいという言語以前の問題がありますから〈実用〉英語に弱いのも当然でしょう。


参考までに、1965 年に設立されたスウェーデンのグローバル教育企業、EF Education First(イーエフ・エデュケーション・ファースト)が、先月半ばに発表した最新の英語能力指数世界ランキングを載せておきましょう。全 112の国・地域で1位はオランダ、日本は 78 位、アジア圏内 24 の国・地域では 13 位とのこと。世界主要7か国の一国であり、かつ世界第3位の経済大国としてはどうしたものでしょうね。





「日本はどうにも自分に合わない」「こんな日本はダメだと思う」という人は、どんどん海外に出るといい。日本で通用するというのは当然のこと日本に限定されますのでね、狭い、とにかく狭いの一言ですし、たかだか日本一国で通用しなかろうがいいじゃないかと思いますね。当時も今も英語留学先としては豪州、米国、英国、カナダ、ニュージーランド、アイルランド。昨今ではフィリピンやマレーシア等、東南アジアの国々もすっかり定着しているようですが、オーストラリア、なかでも規模の大きな都市シドニーで学ぶ利点として挙げられるのは、何と言っても気安い人間が多いので、話す・聞く機会に恵まれるという点でしょう。


カフェのマダムに店員、レストランの従業員、マーケットや百貨店・専門店の販売員、スーパーのレジ担当やバス・タクシーの運転手、同じアパートメントの居住者、大家、たまたま隣り合わせた電車の乗客に駅員、ホストマザーも我が子や大切な友人であるかのように相対してくれ、ホストファーザーも自分の上司や同僚や愛人にいたるまで芋づる式に引き合わせてくれる。テイクアウト専門の店のオーナーなども「学校から帰るまでとっておくから大丈夫!」などと、とても明るく元気に対応してくれ、量り売りの肉屋の店員は、薄切りベーコンを2枚しかオーダーしなくてもステーキ肉を何枚も買ったお客に向けるような笑顔と快活さを見せてくれる。教室外の様々な場所で実践的な英語を使う機会が多い、そういう土地であることは英語を習得するうえで非常に大きいと思います。


長期に及ぶ景気低迷に士気の低下も加わって、日本からの留学生は豪州に限らず減少しているようですが、果たしてその内向き傾向というのはどうでしょう。内向きのままで解消・解決が見込めるでしょうか。例えば現下の 10 万円給付にしても、根本的な社会経済の好転が目指されたものではもちろんありませんし、バブル期を含めようと外そうと日本のいい時代を知る人間からすれば、政府から現金を施される国に成り下がっている現実には深い失望を禁じ得ません。一時しのぎの金銭が手当てされたところで、その先の保証はもちろんないわけですね。


ニュースやワイドショーで耳にする「コロナ前に早く戻って云々」という言い方ですが、これが非常に引っかかる。時というのは絶対に戻りませんからね。どう望んでもそれは起こり得ない。国の将来に期待が持てない、希望を抱けない、明るい未来も描けないとなれば、なおのこと頼りにできるのは自分自身ということになるでしょう。自分は自分を裏切りませんし、投じれば投じるだけ必ず自分に積まれていく。政治家の頭がからっぽでも自分の頭は自分で詰めて蓄えていくことができる、そういう自分を創り出し、創造的な人生を生み出す選択肢があるわけです。国や企業や自治体に心や善意や慈悲や成長はないですよ。あるとすれば、それらはすべて〈人間=個人〉が有しうるものです。限界を設けず、俯かずに顔を上げ外を見るよう意識すること。世界を見渡す視野を持ち、社会や他者や今現在の自己にすら拘束されない〈自由への道〉は誰の物ともなりうるはずです。


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