個に還る~ R・W・エマソン『自己信頼』に力を借りて
毎年のこと、年末年始を挟む期間は仕事が押し寄せ気味になるのですが、真っ向から逆らうように地元図書館の貸出上限を目一杯、ちょうど 30 冊の本を借り出してきたところです。果たしてどれだけ読み進められるかは分かりませんが、仕事ばかりしていると頭がからっぽになるのが嫌なんですね。忙しい忙しいで、社会の「さも真っ当な」一員であるかのようになるのもたまらなく嫌なんですよね。まるで「先進国の社会人の勲章」か「富める国での人生充実の証し」かとでも言いたげな「いつも仕事で忙しい」というお定まりの立派な感じの人間像を馬鹿みたいだと思うところがあるんですよ。
借り出した本の3分の2は英語読本、久方ぶりの英語力メンテナンスのための多読用途、その他3分の1はオーストラリア先住民・アボリジニ関連の一般書と専門書。今年1年はコロナ発生の前年より仕事が忙しくなりました。下の画像は本社所在地・宮城県仙台市、河北新報社のオンラインニュースに掲載されていた記事ですが、すでに耳慣れた「巣ごもり需要」も大きな要因となり、書籍の売れ行きは良かったようですね。
業界に身を置きながら他人事なこの感じ。冷静で客観的というやつですよ(笑)これがあながち冗談でもなくて、意味も意義も価値もある要所の一つではないかと思っているんですね。所属、帰属、安住、現状、固執、熱狂、錯覚、妄信、埋没等々に侵されない〈個〉の存在として常に〈自分以外〉のヒト・モノ・コトから一定の距離を取るという在り方です。「熱く冷める」「冷めて熱い」という感じでしょうか。
出所:「河北新報 ONLINE NEWS」https://kahoku.news/articles/knp2021122401000416.html |
社会で大きな「問題」が起こると関連書籍の発行は目に見えて増えますから、まぁそうだろうなと納得。仕事は選ばず、およそ断わらない主義なのですが、逆立ちしても時間が取れない、詰め込みようがない日程である場合には、当然のこと辞退となるわけで、昨年は2点、今年は4~5点でしたか、依頼に応じることができませんでした。手と目を使う絶対量には抗えないという仕事柄「高速」には限界があるということですね。
随分前に読んだ 19 世紀アメリカの哲学者で思想家、詩人でもあるラルフ・ウォルドー・エマソンのエッセイ『Self-Reliance(セルフ・リライアンス:自己信頼)』の中に、そんな類いの「一応社会人」である私が大変気に入っている一節がありますので、少し長くなりますが以下に引用・紹介し、今日の記事を終えたいと思います。
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大人は自意識によって、自分で自分を牢獄に閉じこめている。ひとたびその言動が大喝采を浴びれば、彼はただちに拘束され、何百人もの共感や敵意に監視されるようになり、以後は何をするにも周囲の意向を気にするようになる。過去を消す魔法はない。ああ、また中立の立場に戻れたら!
どんな誓約もせず、同じものを何の影響も、偏見も、汚れも、恐れもない無垢な目で、何度でも眺められる人——そのような人こそ、いつの時代にも恐るべき存在であるにちがいない。彼は目の前で起きているどんなことに対しても、自分なりの考えを語る。それは個人的なつぶやきではなく、耳を傾けるべき意見とみなされ、人々の耳を矢のように貫き、畏怖させるだろう。
こうした声が聞こえてくるのは、ひとりでいるときだけだ。世間の中に入ると、その声は徐々に遠のき、聞こえなくなっていく。社会は、人々から人間らしさを奪うたくらみであふれている。
社会は、いわば株式会社だ。すべての株主にパンを行き渡らせるために、パンを食べる者の自由と教養は放棄される。もっとも求められる美徳は順応だ。自己信頼は嫌悪される。社会はものごとの本質や創造性ではなく、名目と習慣を愛する。
一個の人間でありたいなら、社会に迎合してはならない。不滅の栄誉を得たいなら、善という名目に惑わされることなく、それが本当に善かどうかを探究する必要がある。
結局のところ、自分の精神の高潔さ以外に、神聖なものはない。自分自身を牢獄から解き放てば、いずれ世界の賛同を得られるだろう。
出典:ラルフ・ウォルドー・エマソン『自己信頼[新訳]』伊東奈美子訳、海と月社、2009年、15~17 頁。
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画像引用:Ralph Waldo Emerson(1803-1882) https://emersoncentral.com/texts/essays-first-series/self-reliance/ |
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