在宅校正、赤ペン1本で副収入!?


Photo by 和 平 on Unsplash
 

『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』― 2016 年放映のテレビ番組ですが、一般にはおよそ知られていない職業を扱うドラマでも視聴率が取れる人気女優の力はすごいものですね。「こんな仕事があるのか」「校閲ってこういう仕事なのか」― このドラマを通じて初めて知ったという方も多いのではないでしょうか。今回の記事タイトルは「在宅校正、赤ペン1本で副収入!?」― 末尾の感嘆疑問符は「何でしょうね!このフレーズは?」という私の驚倒と疑義を表しているのですが、校正・校閲の仕事に興味・関心がおありの方にはこの手の詐欺的文言に躍らされることのないよう願うところです。

出所:日テレ ホームぺージ( https://www.ntv.co.jp/jimisugo)

本日は校正・校閲の仕事について書いてみたいと思いますが、一言で仕事と言いましても範囲が広いものですから、ここでは一つ「筆記具」を切り口に進めてまいります。この筆記具というのも扱うものが書籍か雑誌か、リーフレットかポスターか、チラシかカタログか等の別によって用具が変わってくるのですが、私自身がこの 10 年余り、書籍をメインに仕事をしていますので、今回の記事では書籍に限ったお話をいたします。


下の写真は私物の一部を撮影したもので、上から順に色鉛筆グリーン、シャーペン 0.50.3、ちなみに芯の濃度は薄めの HHB、中間の 2B、濃いめの 3B4B を常に用意しています。それから赤ボールペン 0.380.51.0、マーカーはイエローとオレンジ、青ボールペンが 0.5。これらをよく使っていますね。表題にある「赤ペン1本」は事実に即しておらず、それだけでは仕事にならないのが実際です。


上から二つ目の画像ではご覧のとおり、出版社勤務の校閲者を演じる石原さとみさんが赤の色鉛筆1本を手にしていますね。着ている服も口紅の色も赤で統一されています。分かりやすい、伝わりやすい、摑みやすい。限りあるスペースですからこうもなるでしょう。視聴率のかかった番組宣伝用の大切なカットですから、インパクトの強いものが求められるのは仕方がないことだとも思います。ただそれとは別の話として、こうしたシンボリックな物の見せ方というのは何につけても望ましくないと私は思っているんですね。なぜならそれを目にした人に固定観念を植え付けるのが容易ですし、実際に存在するそれ以外の物事を隠してしまう可能性がある、最悪な点はそれだけが事実であるかのような誤解を与えうるというところでしょうか。


さらには次のような趣旨の文言もネット上で見受けられますので、一言も二言も述べておきたいのですが、まず一つは「在宅ワークでスキマ時間にお小遣い稼ぎ」もう一つは「本が好きな方にピッタリの知的なお仕事」― これらも先述した「赤ペン1本」と同様に詐欺同然のキャッチコピーですから気をつけていただきたいと思います。


まず一つ目ですが「在宅ワークでスキマ時間にお小遣い稼ぎ」― 在宅で仕事ができるようになるまでには下積みが必要です。会社勤めをするように、通いで行う校正や校閲をこなして経験を積みます。ただし例外もなくはありません。「かなり英語ができる」「中国語なら任せてほしい」「薬機法は完璧です」「国立大の理系を出ました」等々、外国語の習熟レベルが非常に高かったり、特殊分野に精通していたりするとそれだけで重用され、ものによっては端から在宅での作業もありえます。それから「スキマ時間にお小遣い稼ぎ」ですが、スキマ程度の時間で片づくような仕事はおよそないのが実情です。「お小遣い程度に稼げればいいんです。月に2、3万ぐらいとか……」などといった個人の希望に適う都合の良い仕事が、すぐそこのドアの向こうで並んでくれるわけではありません。それこそこちらの都合などお構いなしに、いつなんどきとも知れず発注は来ますし、その逆も同様、しばらく発注が来ないということもあるわけですね。仕事の発生は「不定期」が基本です。


次に二つ目の「本が好きな方にピッタリの知的なお仕事」― これは若干虫唾が走るんですけれども、本が好きな人であれば実務に秀でるということはありませんよね。ご想像は容易かと思いますがいかがでしょう。例えば自動車教習所においてすら一度もハンドルを握ったことがなく、技能も知識もゼロではあるが、とにかく車が好きなので運転にも秀でているなどといったことがありえないのと同じです。そうした個人の好き嫌い、要するに趣味的関心事や情緒的・感情的要素は不要なんですね。邪魔とさえ言ってよいかもしれません。


とりわけ校閲者に求められるのは「本が好きである」ことなどではなく「F1レーサーのように精緻で冷静で粘り強くも果敢で度胸がある」ことです。そして校閲者自身の知的要素ですがこれも不要です。なぜなら本は校閲者のそれを投影する場ではなく、あくまで著者の知的要素のみが全面に展開され尊重されるべき場であるからです。自分が校閲を担当する本の著者というのは大層な所謂偉いさんであったり大作家であったり学界人であったりする場合がいくらでもあります。敢えて悪い言葉を使うなら、世間的にはオレ様な方々が丁寧に懸命に書き上げたもの、いやそうとも限らず脇が甘く詰めも甘い、粗末な仕上がりの場合もある、そのどちらであるかは別として、いずれにせよ彼らが完成させた大切な「お原稿」に対して、あ、余談になりますが「原稿」に「お」を付ける世界なんですね。私は大変違和感を覚えますが。「校正」「校閲」に「ご」を付ける人もいます。例:「ご校正いただきたいのですが」「ご丁寧なご校閲に感謝申し上げます」等々ですね。しかしこういう鬱陶しい物言いをする編集者や校閲手配者に有能な人物はおよそいません。こちらのかったるさが募る一方でもあります。


話を戻しましょう。著者が書き上げた大切な原稿に対して……でしたね。校閲者は次のような趣旨の問いかけや見解の表明を筆記を通じて行います。ゲラと呼ばれる校正刷りへの鉛筆による記入が主となるのですが、例えば「これ全然意味わかんないんですけど」「その制度はフランスじゃなくてイギリスですよ」「ここは文が通ってないですね」「それ、前のページで言ってますけど繰り返します?」「ここで補足を入れないのは読者に不親切の一言ですよ」「結局正しくは何なんですかね?」「このレベルの漢字にルビを振ります?」「ああ、 ここも前後がつながってない。前の段落から確認してくださいよ必ず」「とにかくここらあたりは全体的に要注意ですね」 等々……。一切妥協せず、大目に見ず、突っ込み続けなければならない仕事なんですね。先ほど「F1レーサーのように/度胸がある」ことが求められると書きましたが、それがこの点で軽視できない要素になってくるわけです。


また、書物の出来が粗末である場合、著者と版元の名誉に関わりますし、読者・購買者への責任という問題はさらに大きなものがあります。ですから仕事が緩いとだめなんですよね。要するに作業する人間自体が緩いとだめなわけです校閲の仕事は。最低ラインで 100 %を目指す厳しさを自身に課さなければならない、課して当然ということですね。結果として残念ながら 99 %の仕上がりになったというふうでなければならない、少なくとも私自身は常にそうした考えで仕事に取り組んでいます。皆さんの職場ではいかがでしょうか。様々な業種の多様な職種に各人が身を置き、その全員が最低ライン 100 %を目指して仕事をしているでしょうか。


さて校閲の話に戻りますが、例えば著者が超人気のお笑い芸人だから、テレビによく出る売れっ子ジャーナリストだから、どこどこ大学の総長だから、どこどこ会社の会長だから、どこどこシンクタンクの理事長だから、どこどこ政党の政治家だからといって、いちいちビクついているようでは仕事になりません。忖度などあってはならないんですね(笑)校閲の仕事は著者が誰であっても同じですし、それでいい。関係ないんですよね。ですから相手によって自分の態度を変えるような人には向かない仕事だと思います。


そんな校閲者のツラの皮の厚い働きというものが、不出来な原稿を担当する編集者にとっては心強い援護射撃になります。突っ込んで言えば、不出来な原稿というのは編集者の責任も大きいのですが、それゆえ校閲者には果敢な取り組みが期待されるというわけですね。「突っ込んでくれてありがとう」― 担当編集者は胸を撫でおろします。「いいえ、それが私の仕事ですから」― そんな返し方は「波風が立たない」という点では良いのかもしれませんが私はしませんね。過不足のない全体評価を抱き合わせで戻します。そして当然のこと、原稿・編集が粗末であればその粗末さによって要した時間と労力に相応な料金として支払額の上乗せを要求します。「縁の下の力持ちということで何とかお願いできませんかね、てへへ」「校正料金ですが実は厳しいものがありましてね、うむむ」― だめな出版社とちゃらい編集者ほど、こうしたフレーズを恥ずかしげもなく持ち出しますが応じません。払わせます。


さてさて。もうお分かりかと思いますが、珍しい仕事の一つと言ってよいかもしれません。世の中だいたい突っ込むと嫌がられますでしょう?「まあまあ落ち着け、そういうこともあるよ」「まあまあ怒るな、いろんな奴がいるよ」「まあまあ黙ってろ、身がもたねえぞ」そうです。突っ込むというのはおよそ煙たがられるわけですけれども、この仕事は違うんですよね。怖いもの知らずの局所集中型仕事人である校閲者と、片や異なる立場に立つ複数の人々を視野に収め、その調整と集約に長けた全方位型仕事人である編集者が一つの輪の中に存在し、一定の道を辿り、やがて本は一人前の姿となって世の中に出回っていく、そして一人ひとりの読者の手に届けられることになるわけです。


校正・校閲の仕事の立ち位置と言いますかね、もしそこに魅力を感じる方がいらしたら入り口のドアをぜひ叩いてみてください。れっきとした技能職です。ハンドルを握ったことすらない今は、業界の大ベテランなどを目にすれば、とても遠い所にいるすごい人のように映るかもしれませんが、彼らとて昔はもちろんのこと未経験者だったわけです。私自身もそうですね。そしてここがポイントなのですが、どれほどのベテランであっても必ず歳をとり、視力の衰えや体力の減退に抗えなくなっていきます。そうなる前に彼ら先達から学ぶべきところは大いに学び、より多くを受け継ぎ、慕い敬いながらも常に目指すは一本立ちと心して進むのがよろしいのではないかと思います。


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