書籍校正者は「漢字博士」か?




「書籍の校正や校閲の仕事をしているような人は、およそ知らない漢字などないのだろう、やたらに画数の多い〈薔薇〉のような漢字もササッと書けたりするのだろう、何と読むのか分からないような難しい漢字でも、薔薇より画数の多い漢字でも普通に書くことができるのだろう、まさに漢字博士ですよね、あ、漢字検定なんかも1級とかお持ちなんでしょう? いやお持ちでなくてもね、パッと受験したらパッと受かっちゃうんでしょうね、あの、やっぱり大学は国文学科をお出になっていらっしゃる?」

いいえ、そんなことはありません(笑)このサイトでも何度か記事にした放送大学に編入学する前のその昔、私は早稲田大学第二文学部の学生だったのですが、中退のうえ専攻は歴史学でしたし、漢字検定などは1級どころか受験したことすらないんですね。校正・校閲の仕事をしている人間が国文学科を出ているとか、とりわけ文学を好んでいるといった顕著な傾向などというものは、少なくともフリーで働く人間の間には見られません。言い換えれば、国文学を専攻していなくても文学に疎くても、校正者や校閲者にはなれるということです。


例えば本を読むより釣りやゴルフや料理が好きだという人もいますし、大学で心理学を専攻した人が、オフィス用品の分厚いカタログ校正に取り組んでいたりもします。消しゴムやクリップやセロハンテープや蛍光ペンの写真と価格と商品名等を確認し続ける校正作業で、日に軽く数万を稼いでいたりもするんですね。フリー校正者のバックグラウンドは実に多様です。


私の職歴は直近 13 年、それよりかなり前にも校正の仕事をしていた時期があり、通算 21 年ですので短くはないほうに入るかと思いますが、ある時期まで、こと漢字に関しては弱かったんですね。もともと日本語が好きではなく、10 代の終りごろから外国語のほうに大きな比重をかけていました。日本語以前に日本自体が好きではなかったので反動が大きかったんですね。英語にフランス語、韓国語にドイツ語とやたらに手を伸ばしていました。


結果、校正・校閲の仕事でも対応可能な実力がついたのは英語と韓国語の二つだけですが、英語一つにしましても「ある程度できる」ぐらいで「外国語がよくお出来になるんですね」ということになってしまう国ですから、英・韓はもとより、多言語校正の仕事が舞い込むこともありました。タイ語やインドネシア語、アラビア語等々を扱う商業印刷物などです。そんな調子のどこか吞気な私がいよいよ「漢字を知らないな」「分かってないな」と思い知らされることになったのは9年ほど前のこと。さてここで下の画像ですけれども、これが何であるかをズバリと言える人は、日本国内にどのぐらいいるのでしょうか。



左右で似たような文字が並んでいますが、それぞれの組み合わせのうち、向かって左が拡張新字体、右が正字。どちらの文字も多種多様な印刷物に使用されていますので「正字が正しい」「拡張新字体はだめだ」という話ではないんですね。例えば書籍を発行するどの出版社においても、二通りあるうちのどちらを採用するかは自由に選ぶことができる、いずれであっても誤りではないわけです。上の画像からいくつか拾ってみましょう。



「うそをつく」の「うそ」という字は、皆さんならどうお書きになりますか。パソコンにスマホにタブレット、電子機器がこれだけ社会に浸透している昨今では、自分の手で文字を書く機会も減っているかとは思いますが、もしも書くとしたらで結構です。左の拡張新字体「嘘」と右の正字「噓」のどちらをお書きになるでしょうか。



次は「うわさをする」の「うわさ」ですが、最初に挙げた「噓」と同様、右の正字「噂」のほうを書くという人はあまりいないのではないかと思います。ちなみに私は左の拡張新字体のほうが書きにくい、何か引っかかるという感じが強く、正字のほうが自然に書けてしまう。そして下の画像「えさをやる」の「えさ」にしても、おそらく大多数の人が左のほうを書くのではないでしょうか。「かもめ」についても「噂」や「餌」と同じく、私は「鷗」のほうが書きやすい。「鴎」は書き出しの「区」の時点でもう気に障ってしまうんですね。これはひとえに職業由来の偏りで、この仕事と無縁の生活であったなら、多くの人々と同様にここで挙げた全ての文字を拡張新字体のほうで書くだろう、またそれでしか書けないだろうと思います。





話は変わりますが今から9年ほど前、左と右の組数で言えば 300 組以上、字数にして 600 字以上、それがズラリと並んだ一覧表をある出版社から手渡されたんですね。下の写真がその実物なのですが「これを全部覚えていただきたいんです」と言うわけです。私は心の中で「はあーっと。ええーっと。なにこんなにたくさん? どうやって覚えるわけ? 暗記するっていうこと? 殴り書きみたいなことして覚えるとか?」― もう覚える以前に覚え方も分からないですし「こうすれば覚えやすいと思いますよ」という助言もない。


↑画像クリックで拡大表示可

続いて「弊社は字には厳しいものですから」とのこと。その出版社は正字しか使わない、だから拡張新字体の文字が紛れ込んでいたら問答無用で赤を入れてほしい、即ち入朱してくださいということで、私はまた心の中で「ああ、そうなのか。それだと私は不適格者だな。そんな漢字博士みたいじゃなくてもこれまで仕事をしてきたわけだし、それで通用しているわけだし、今からそれって時間も取られて面倒だな。実技試験に漢字の出題なかったのにな。なんか受かっちゃってからこんなこと言われても困っちゃうな。まぁいいや、出来が悪ければ仕事の依頼も来ないだろうし、別に逃げなくたって自然消滅の方向だな」等々。出端を挫かれ「なんだか疲れるな」という感じでやる気も負けん気も湧いてこない。それが実際のところでした。


あれから9年を経た現在、その点かなりレベルの低かった私がどんな具合かと言いますと、漢字がよく分かるようになっているんですね(笑)充分対応できています。大変な成長です。大人になってもヒトの細胞はその一部が日々生まれ変わっていますよね。脳は使えば使うほど無限大に発達する、そういうところかなとしか科学素人の私には説明できないのですが、別の言い方をすれば、経験に経験を重ね、その継続の営為のみそれこそが、自分にとっての最大の難所であった「漢字坂」を越える唯一の道筋だったということが今となっては分かるのです。


初めのうちは、当該の文字が拡張新字体なのか正字なのか、そのどちらでもないのかということ自体が分からないので、一覧表で逐一探し当て、確認するところまで進まないといけない。そんな状態でしたから異様に時間を要しましたね。一字も逃してはならない、それは非常に恥ずかしい、校閲以前に字の判別もできない人間がプロと言えるのか、いや言えないだろう、積んでいたのは年数だけか、このザマはいったい何なんだという壁ですね。作業中は取りこぼしを恐れ、常に緊張感でいっぱいいっぱいになっていました。ものを知らない、できない人間が募らせる不安感さらには恐怖心。孤独でもあります。しかしその不安感と恐怖心、孤独な状況こそが、自分を高みへと押し上げる大変なパワーとなって作用し、仕舞いには新たな一つの能力を手にすることが実現したというわけですね。


申し上げたいのは「校正者だから校閲者だから漢字をよく知っている」のではないということ。知らない、分からない、できないけれども文字に目を凝らす、凝らし続ける、その結果として「漢字をよく知っている」という一定のラインに到達するのだということ。そんなスパンとプロセスがあるということなんですね。実務に足る充分な「体躯」をそうして創り出したがゆえに、出版業界の一角を占める職業の世界に堂々立つことが今できている。そうした表現が「書籍校正者イコール漢字博士」の説明としては適切だろうと思います。


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