真冬もアート、継続こそ力なり



昨秋から始めたストーンペインティング。画用筆や筆洗バケツ、パレット代わりに使用している小さなガラスボウル等々に付着したアクリル絵の具を綺麗に洗い落とすための石鹼水作りも人生初の試みです。筆洗い液というものが画材メーカーから販売されてはいるのですが、あえて手間がかかり時間も要する地味な作業を自ら進んで行なうことにしたのは、お金さえ払えば大方容易に片付いてしまう便利でいい時代のことを、それだからつまらないんだよな、頭も体も鍛えられないんだよな、令和になっても「北の国から」の黒板五郎に感動してるのとも矛盾するんだよなと、諸々思うところがあるからです。上の画像はキッチン用品のスライサー、1グラム単位で重さを量れる計量器、そして主役の固形石鹼です。


この石鹼というのも石鹼と名が付くものなら何でもいいというわけではなく、純石鹼分のパーセンテージが高くなければ用をなさないので、98%の高純度品を入手しました。ドラックストアで簡単に見つかる商品です。これを片手に摑んでスラッスラッスラッスラッとひたすら削っていると、右のボウルでご覧いただけるように少しずつ積もってまいります。「白雪の詩」というネーミングも確かに頷けるのですが、自分の第一印象としてはゴボウのささがきでしたね。


次に熱い湯を用意します。削った石鹼が積もるボウルに適量を注いで、ユラユラユラユラとしばらくかき混ぜていると、下の画像のように石鹼の形は消え失せ、液体に変わります。「できた!」――生まれて初めての自家製石鹼水です。


「簡単じゃん、簡単じゃん・・・」――嬉々としてプラスチック製のスプレーボトルに流し込み、残りは大きめのガラス瓶に詰めて蓋をします。適宜スプレーボトルに補充していく算段ですね。「成功、成功・・・」と気分を良くしてしばらく目を離していると、成功ではなく失敗でした。うまくいったはずの石鹼水が固まってしまいましてね。化学の知識がマイナス100ぐらいの人間ですから説明はできません。「だけど高純度ってことに変わりはないからな・・・」「想定外の化け方をしたとはいえ元は石鹼なんだからな・・・」と諦めきれずに引っ張りました。そして何より「もったいない」の一言です。――「これでもいいじゃん、使おう、使おう、まったく使えないってこともないだろう・・・」と気持ちを切り替えたところ、これが大正解。まずひとつに、布地の染み抜きに抜群の力を発揮する優れものであることが判明しました。ウール100%の鮮やかな朱色のひざ掛けに付着した4~5か所に及ぶ茶色のシミの上からダメもとで落下させてみると、数時間でキレイサッパリ汚れが落ちたのです。周囲の生地にも色落ちがありませんでした。


さらに好都合だったのは、ペインティングに失敗した石を水中に沈め、まるで「くずれ豆腐」のようなこのイレギュラー石鹼をスプーンですくってボンッと入れ、ガラガラッガラガラッと勢いよくシェイク。そのまま浸して数時間もすると、下地のジェッソも上から載せたアクリル絵の具もキレイサッパリ剝がれ落ちるのです。はーっ、はっ、はっ!


上の画像はブクブクブクブク・・・くずれ豆腐を混ぜ合わせた水の中に沈んでいる失敗作です。これは初めて作った作品だったんですね。オモテ面がやっとのこと完了し、そこで終わりにすればよかったものを、ウラ面についてはどうするべきか、今後の方針を定めてはいない段階で、ウラ面にもタイトルやサイン、完成年月日等々を芸術的に施そうと初心者ならではの逸る気持ちに流されて、安直に手をかけてしまったがゆえの失敗でした。


ブクブクブクブク・・・さようなら第1作・・・せっかく完成させられたのに、考えをまとめもせずに余計なことして、端からこんな事態に直面したものですから、いい大人が大変なショックを受けました。


真ん中の黒い部分が失敗した場所です。周囲がヤワヤワヤワヤワと剝がれていく様子がお分かりいただけるでしょうか。綺麗にでき上がった第1作の終わりも終わりにきて失敗、その結果崩れゆく石の痛々しい姿を目にするのは悲しいものがありましたね。なにせ始めたばかりで終わってしまったわけですから・・・。


しかしそんな悲哀空気に包まれたのも束の間、なんだか面白いぐらいにベロンベロンと絵の具も下地も剝がれていく石を見つめているうちに「フン、フフン、フフフン・・・」と次第に可笑しくなってまいりました。そのときの私をそばでご覧になっていたら若干気味が悪かったかもしれません。メリメリメリ、トロトロトロ、色も柄も崩壊していくさまを目の当たりにしつつ思ったことは「あー、そーかー、無かったことにできるってわけね・・・」「はー、こんな失敗しちゃっても、まったく無かったことにできちゃうわけね・・・」――そうと分かると調子がいいことに、今度は愉快空気が湧き起こり、みるみる気が大きくなっていきました。ノリの軽さというものは、時にひとつの力量ではないかと思います。


ほらねー! はーっ、はっ、はっ! まるで赤タマゴみたいにツルンツルンの石の再誕です。すっかりリボーンですね。これをもう一度、くずれ豆腐を使って軽く洗い流します。


イレギュラー石鹼の驚異的な洗浄力を目にしたおかげで、失敗することが怖くなくなったのは大きな収穫でした。「もう無理、やり直し」となった場合でも「もっと綺麗できちんとしたものを作り出すための発展的失敗だ、ハイ、ドボーン」すればいいだけの話です。洗浄し終えた石を完全に乾かしたら、再びジェッソの下地塗りに取りかかればよい。そうして石は何度でも何度でも復活するわけです。「敗者復活戦で常に勝利する」という言い方もできるでしょう。「ふーん、自分もそんなふうでありたいね・・・」「そう何度でもよ・・・」「不屈の精神てやつだね・・・」「甦れ、自分・・・」「何度でも失敗できるって、それなら失敗ってわけでもないじゃん・・・」等々。

加えて大きな気づきとして得られたのは、どのような失敗も、だからこそ「実際に学べる」のだということ。教育者や指導者、トレーナーやインストラクター等々、そんなもっともらしいものを持たずとも、すなわち誰の教えを仰ぐことなく単独で道をゆこうとも「学ぶ」ことはできるのだということですね。いつとも知れず、なにとも知れず、ひたすら前進する者にはきちんと天から降ってくる。途中で放り出したらそれがない。校正の仕事についても言えることですが、まさに〈継続こそ力なり〉――ひとつの創作行為を通じて修めることができるのは、単なる技能ばかりでもないようです。


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◆関連記事◆
「ストーンペインティングを始める」(https://sylviekb.blogspot.com/2022/09/blog-post_30.html

「アクリル絵の具を選ぶ芸術の秋」(https://sylviekb.blogspot.com/2022/10/blog-post.html

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