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問題は脆弱な自己、テレワークに非ず

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タイトルは「祝・テレワーク十周年記念、所感」などとしてもいい。正確には来年4月で丸十年を迎える自身の働き方が完全在宅稼働。今どきはテレワークといいますね。しかし外来語の使用や和製英語が相変わらず煌めいている漢字文化圏、東の果て日本。明治以来の劣等感を未だに引きずっているのでしょうか。十年ひと昔、けれど過ぎてみれば早いもので忘れていることもおそらく多い半面、忘れずにいることも少なくありません。言えるのは「継続こそ力なり」 ― それに尽きるということ。私は昔から気が短くて何でも誰でも簡単に切る、捨てる、放る、そういうところが長らく岩のようにどしりとあって、自分は一生こんなふうだろうなと思っていたんですが、ここ数年で少し変わりました。 ところで先述のフレーズ、昔から今も耳にするのは「継続は力なり」ですけれども、この「は」の所を「こそ」に替えて私に伝えてくれた人がいたんですね。この十年の間のことですが一度だけ言われました。二度は言わないんですよね、頭のいい人は繰り返さない。そして同じく頭のいい人は一度言われれば摑みとる。ということは、つい最近まで繰り返しメディアを飛び交っていた「安全・安心」の発信元はものすごく頭が悪いってことになりますかね(笑)「継続こそ力なり」 ― この言葉を得て以降の私は本来の「継続は~」ではなく「継続こそ~」のフレーズが根付き、おそらく今後も変わらないだろうと予想していますがこの日本語のセンスいかがでしょうか。こうして勝手に作り替えてしまうというのもその人の、あるいは個々人の才能・能力の表れの一つかと思います。 本題ですが上の写真は時々買っていた「東京新聞」の先月の記事で、見出しはご覧のとおり「テレワーク 募る孤独」 ― 。実は最近この新聞をほとんど買わなくなっていて、理由は「だいたいこの手のことを取り上げるんだよな」「で、だいたいこういう内容で書くんだよな」「で、だいたいこんな感じで締めくくるんだよな」等々、読む前から分かってしまう、察しがついてしまうので読まない、買うまでもないということですね。今回は家人が買ってきていたのをたまたま目にしたという偶然の産物なんですが、この見出しが引っかかったのでとりあえず切り抜いて保管、後日気になる箇所に傍線を引きはじめたら、本文ほとんど線を引いちゃいましてね(笑)この「気になる箇所」というのは良い意味ではなくて

校正&校閲の仕事に興味がある方へ

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Photo by Brett Jordan on Unsplash 今日はタイトルのとおり、校正や校閲の仕事に興味・関心がおありの方、校正・校閲職を希望している方にお知らせです。ここ数日の間に複数名からコンタクトがあり、ならば一度きちんと告知を行うほうがよいかと思い至った次第です。 私は通算 21 年、直近 13 年の職歴を有しています。外国語辞書に始まり、外資系日刊紙、商業印刷物、広告のほか、企業・団体・大学等教育機関の各種印刷物など様々なジャンルを対象とする実務経験を経て、以後現在は実店舗や通販サイトで販売されている書籍をメインに完全在宅稼働のフリーランスとして独立しています。但し「雑誌とウェブサイトを除く」という断り書きをいれなければなりません。その分野は詳しくありませんのであらかじめご了承ください。また、仕事は紙でしか行なっておりません。通常「ゲラ」と呼ばれるものですね。書籍の他には各種団体の定期刊行物、会報、広報誌等を日常扱っています。 校正・校閲の仕事は「やりだしてみなければわからない」、業界についても「入ってみなければわからない」それぐらいに情報が少ない職業の一つではないかと日頃から感じています。上記の業務内容はざっくりしたものですが、何かお役立ちできることがあればと思いますので、ご質問やご相談はお気軽にお寄せください。 ご連絡は「CONTACT」に記載のメールアドレスまで。「こんなことを尋ねるのは話が違うだろうか?」「こんなことを言うと相手にしてもらえないだろうか?」「こんなことを打ち明けてもいいだろうか?」などと考えこまずにどうぞ。お返事のメールは遅くとも3~4日以内、かなり遅い場合でも1週間を目途にお送りいたします。 ※関連記事「 校正&校閲、キャリア相談は完全無料 」のほうもよろしければどうぞ。 *****

目薬と視力の弱い校正者

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中学生の頃から目が悪くなりだしましてね。今の視力は右  0.1  以下、左  0.3  ですから校正者としては惜しいところなんですが、まあ仕方がないですね。無いものは無いもの、失ったものは失ったもの、潔く諦めるのも生きていくのに欠かせない要素だと思っています。落としどころですね。「諦めない」という頑張りだけがマストでもベストでも賢明でも褒められたものでもない。短時間、短期間なら諦めきれない、食い下がる、恨み言の一つも泣き言の二つも(笑)なんて状態もあるでしょうしそれでいい、仕方がないとも思いますが、どうしようもないことに対していつまでも惜しんでいたり悔やんでいたり傷ついていたりこだわり続けているといいことないなと思うんですね。 何より自分が苦しいですよね。挙句に心療内科に行ったりしましてね。せっかく専門家を頼ったのに白衣を着た初対面の人から「誰にもそんな悩みはあるものなんですよ」程度の私でも口にできるようなことを言われて傷ついたりなんかして二重苦。当然支払いも生じますから経済面で三重苦。帰路では「医者のくせにまったくなっていない」だなんて軽めの恨みと深めの失望を抱え込んだりして四重苦ですか(笑)考えている、 悩みを深めているって聞こえは障りがないですし、頭が良さそうな空気感すら周囲に放つこともできるんですが、自己陶酔や甘えの部分もなくはない。そういう類いの人を結構見てきたかなと思います。 一見賢そうに話したり書いたりしているんですが、見続けていると堂々巡りの一言というパターンが少なくありません。酷いケースだと家族や他人、友人・知人を含めての他人ですが「考え悩み思考するオレ/アタシ」を周囲にまき散らす人というのが残念ながらいらっしゃる。成熟に遠いタイプですね。自分の不満風や不幸風をビュービューゴーゴー吹きっぱなしにしているものですから、吹きつけられる側は疲労感を覚えたり、時間に比例して手立てもなくなってきたりするわけです。人間は万能ではありませんし「オレ/アタシ」な人たちにとっていつでもどこでも都合のよいイエス・キリストの如き存在になれるわけでもない。不満風と不幸風に晒され続けているうちに「こちら」の体が冷えてきますと、風を吹きっぱなしにしている「そちら」の側との関係も徐々に危ういものになってきます。 けれども「そちら」の人たちというのはそんなことをまったく気にかけて

カラダが資本、味方は高麗人参茶

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おととしの秋、地元の喫茶店でいきなり倒れて、気づいたときには完全に床に寝ている状態だったんですよね。部屋のベッドで普通に寝ているときの格好。意識消失っていうんですね。目が覚めて最初に視界に飛び込んできたのは知らない初老の男性の顔のアップ。映画館の大きなスクリーンで俳優の顔が間近に迫ってくるような感じですね。「救急車がすぐ来るからね。大丈夫だから。起きずにそのまま寝てなさい」って自分の娘か孫娘に言い聞かせるように目を合わせておっしゃったんですよね。人の気持ちや善意って素晴らしいものだと思います。 「世の中結局カネなんだよ」だなんて言う人がいますけれども違いますね。バカ言ってもらっちゃ困りますよ(笑)自覚症状はなくても倒れたときに、もしかしたら頭を打っていて、その日のうちに死んでしまう可能性がまったくなかったとも言いきれない。そんな事態に及んで偶然そこに居合わせた人が、そばで倒れた赤の他人に対してそれこそ名前も知らない、顔だって一度も見たことがない人間に優しく適切な言葉をかける、そういう人が一方にいて、それを受け止める側の人間との間のいったいどこにカネが存在しているわけですか? していないわけですよ一円たりともね。毎日の暮らしですとかもっと大きく言うなら人生ですとか、本当に突き詰めていくと問題はお金ではないんですよね。ですから「世の中結局カネなんだよ」だなんて分かったような口をきく経験不足の大人は気の毒です。世の中結局カネではないんですよ。 意識がなくなっている間に店の人が救急車を呼んでいたんですよね。現れた消防隊員は全部で3人でしたか、彼らが到着した頃には私はもう体を起こしていましたし、ゆっくりながらも腰をあげて脚の長いお洒落な椅子に座ることもできていたものですから「もう平気なのでこのまま家に帰ります」と言ったんですが「頭を打っている可能性があります」「帰宅後に異変が生じたらもっとしんどいことになりますよ」などなど、いろいろプロに言われてみますと「確かにそうだな」とどんどん納得(笑)人生初の救急搬送に同意しました。しかしサイレンというのは緊張感がありますね。信号無視、本当に速い、車がスースー進んでいく。日本は救急車がタダだからいいですね。当たり前のように一銭も払わずに乗車しているわけですけれども、世界を見れば当たり前ということでもない。オーストラリアは  10  万以