放送大学 IN 東京・茗荷谷



 
2018 年 10 月、放送大学教養学部3年次に編入学したんですね。ここは正規の学生を全科履修生と呼んでいます。先日のこと、今学期9月末日付卒業予定者宛ての書類が自宅に郵送されてきました。学期末試験結果待ちの現在、あくまで卒業は予定・見込ということですね。3年次編入学は最短2年間の学生生活ですが、私は端から2年は無理、早くて3年、上限6年もありだなという感じで入学した結果3年で卒業見込ですから、仕事第一の社会人としては上出来なほうかなと思っています。


取引先への感謝もありますね。「今学期は勉強に専念する。数か月仕事はしない」などとメール一本で済ませられるのもフリーランスの「なるほど・ザ・自由ワールド」なんですが「承知しました。学業に対する真摯な姿勢に敬意を表します」だなんて信じられないような立派な返事をよこす人もいたりして素晴らしいんですね(笑)そんな「浮世離れ大陸」に生息する私がその後のある日唐突に「来週から仕事する。カラダが空く」といった電報のようなメールを飛ばすと「ご連絡ありがとうございます。早速一件ご検討いただきたいのですが、ご都合いかがでしょうか」と返してくる。出来がいいですね。偉いの一言、感心させられます。それもこれも私の実力のなせる業ということなんですけれどもね(笑)


上の写真はガラケーで撮ったもので、そのわりによく写せたので大事にとってあります。この種の写真の価値というのは 10 年後 20 年後もっと先の 30 年後ですとか、長い時間が経って高まるものかもしれません。今の今ではなくてね。入学後、初めて登校したときに撮った写真なんですが、後悔は「あーあ、建物の中も撮っておけばよかったな」1枚もないんですよね。屋内は広々としていてとてもきれいなんですよ。色調も造りも落ち着きがありました。


放送大学は北海道から沖縄まで「なになに学習センター」という名前が付いているんですよね。他に「サテライトスペース」という呼び名のところもあります。いずれにしても「なになに校舎」とは言わないんですね。通学制ではありませんから当然かと思いますが。私が所属していたのは東京文京学習センターというところで、住所は東京都文京区大塚、最寄り駅は東京メトロ丸ノ内線の茗荷谷駅。写真の正門の看板が筑波大学と横並びなのは、この建物を両大学で使っているからなんですね。


北海道学習センターは確か北海道大学と一緒、沖縄学習センターは琉球大学と一緒でしたかね。全国各地でいろいろなようですよ。東京文京学習センターは地下1階の筑波大学附属図書館 大塚図書館を堂々利用できるので、私は初めて登校したときに申請をしてこの図書館の利用証を入手、その日から使いました。「え? 放送大学の人?」だなんて受付の図書館員に怪訝な顔をされることも粗末な扱いを受けることもまったくありません。図書館内も他のフロアと同様にきれいで広く、学生の身分ならではの貴重な空間だったなと思います。


一帯は文教地区ですから環境もいいんですね。駅構内のヴィ・ド・フランスと改札を出てすぐのサンマルクカフェ、スーパーの Santoku はよく利用しました。学期末の試験期間中にサンマルクカフェに入ると、直前の総仕上げか詰め込みか、教科書を開いて勉強している学生が必ずいるんですね。放送大学のテキストはひと目で分かるデザインなので「あ、大学の人だな」とすぐ分かる。社会人が多い大学ですから当たり前かもしれませんが、皆ひとりきりでそうしています。複数名でワイワイがない、二人連れすらないんですけれども、そこが通信制大学の持ち味というのか、いいところだなと私は思っているんですよね。ダラダラベタベタ学生同士のつるみがない、その暇もない、そんな気もないという真っ直ぐな単体の、それでいて同じ釜の飯を食っているという絶妙な感じですね。様々なバックグラウンドの人が集っています。


茗荷谷は緑が多めで健全な印象の街。会社があり学校が多く住宅もある、小さな子どもからお年寄りまで行き来していますし、学習センターのある建物は「教育の森公園」という大きな公園とも隣接しているので気持ちがいい。スクーリングのときの教室の窓から見える背の高い木々ですとか、朝から夕方にかけて変わっていく空の色彩ですとか、記憶に残っていますね。お昼の食事は教室の外に出て表のベンチでとることも多かったです。


仕事をしながらの学生生活でしたから勉強のペースや時間配分など、もろもろスムーズにはいきませんでしたけれど、どだい人生なんてスムーズにいくものでもないですよね?(笑) この3年間、だいたいいつでもゴッタ煮の働く社会人であるがゆえ、楽ではないときもありましたが、何につけ私は「楽なのがいい」とは思わないタチなんですよね。楽だと鍛えられませんでしょう? いつでもヘラヘラケラケラしているとバカになるのも簡単ですし、人間である以上それはノーだということなんですね。


晴れて卒業を目前に控えた現在はというと、人間味 120 %的老教授の頭のいい話が忘れられないですとか、一夜漬けだった個人発表がうまくいって教員がいくつも質問をしてくれたですとか、中間試験にあたる通信指導の小論文を高く評価してくれた教員のことが気に入ったですとか(笑)いろいろあるんですけれども、すべてが済んだ今となってはそのどれもこれもが星の光のように美しく見えて、とてもいい気持ちがするんですよね。


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